【連載】日本近現代ハンセン病史の考察 (第11回<その1>)
【連載】日本近現代ハンセン病史の考察
―「ハンセン病違憲国賠訴訟弁護団」、「小鹿島更生園・台湾楽生院の裁判闘争」の批判― 第11回<その1> 2006年10月26日
「ソロクト訴訟」が原告ら敗訴(鶴岡稔彦裁判長)判決、「楽生院勝訴」が原告ら勝訴(菅野博之裁判長)判決のあった満1周年の日に当たっての所感(その1)
人権図書館・広島青丘文庫 主宰 滝尾英二
「ソロクト訴訟」が原告ら敗訴(鶴岡稔彦裁判長)判決、「楽生院勝訴」が原告ら勝訴(菅野博之裁判長)判決という明暗をわける判決が東京地裁であって満1周年の日に当たる。「小鹿島更生園・台湾楽生院補償請求訴訟弁護団」は、本日、この判決に関する集会はもたれるという情報を私は、知らないしまた、知らされていない。同弁護団のホームページを見ても、昨日(10月25日)に、そうした集会が持たれることは書かれていないので、行なわれないのだろう。今年は全国各地で「らい予防法廃止10年、熊本判決5年」記念集会が行なわれている。
「菜の花法律事務所の「菜の花法律事務所」」のホームページを開き、「HITASURA~宮里新一~」のアイコンを「クイック」したら、つぎのような記事が出ていた。
「宮里新一・ひたすらライブ、奄美和光園予防法廃止10年熊本判決5年記念シンポジウム。2006年10月28日(土)、場所:奄美和光園公会堂、シンポジウム開会 午後1時30分~。ライブ開始 午後4時15分~」。
この記念シンポジウムは、第1部・「今こそ手を携えて」 講演・徳田靖之。また、4人のパネリストのひとりとして、徳田靖之(弁護士)の名が出ている。第2部として、シンガーソングライター・宮里新一とあり、連絡先として「菜の花法律事務所」とある。
私は、この「奄美和光園予防法廃止10年熊本判決5年記念シンポジウム」に意見を唱えているわけではない。この集会に、多数の参加者があり、成功裡に終わることを祈念している。しかし、連絡先の「菜の花法律事務所」は、小鹿島更生園・台湾楽生院訴訟請求弁護団の代表兼事務局長である国宗直子弁護士の法律事務所であり、徳田靖之弁護士は、小鹿島更生園・台湾楽生院訴訟請求弁護団の主要メンバーであることが気になる。
それは、今年の2月3日の「改正補償法」が国会で可決・成立して以来、現在まで「小鹿島更生園・台湾楽生院訴訟請求弁護団」として、発言・説明などを公的には全くといっていいほどしていない。「ソロクト訴訟」が原告ら敗訴(鶴岡稔彦裁判長)判決、「楽生院勝訴」が原告ら勝訴(菅野博之裁判長)判決のあった満1周年の日に当たっての集会・シンポジウムなどは、「小鹿島更生園・台湾楽生院訴訟請求弁護団」として開催できなかったのだろうか‥‥。
その徳田靖之弁護士や、国宗直子弁護士がかわって、どのようない意見を従来書いていたのだろうか、そのうちから何点かを紹介してみたい。
(第一例)2005年4月18日付けの滝尾宛ての徳田靖之弁護士の「書簡」(抜粋)
「‥‥私としては、裁判所の証拠決定に期待をしていただけに、残念でなりませんが、考えてみれば、これが「補償法」という法律を利用しての行政訴訟という形式の限界なのかも知れません。いずれにしましても、証人として出廷を再三お願いしながら、このような事態となりましたことを深く深くお詫び申上げます。
裁判所としては、原告本人尋問を採用し、原告側の提出した準備書面及び陳述書をよく理解し評価していますので、勝訴は動かないところと考えますが、法廷の場で、歴史の事実を詳らかにすることが十分にできない形での勝訴では、本来意図した目的を達しえないと思っています。
いずれ判決の前後に、国会での審議、マスコミの特集等がなされることになりますので、その際に可能な限りの努力を尽すつもりです。
私だけでなく、弁護団全員が、滝尾さんのこれまでのご研究や私たちのご指摘なくして、本件訴訟はありえなかったことを肝に銘じています。‥‥」
この徳田靖之弁護士の書簡の内容は、2005年4月18日の時点では過ち、間違いはなかったと私は思う。しかし、同年10月25日の東京地裁民事三部の鶴岡稔彦裁判長は、原告らの敗訴を言い渡した。私は、機関誌『飛礫』49号、(2006年1月発行)で「ソロクト訴訟はなぜ敗訴したか―今後の闘いにむけて―」(148~160ページ)のなかでも述べているように、この裁判は内容的には戦前の被害の謝罪とそれに基づく賠償を求める裁判である。
日本の旧・植民地や占領地域を欠落させた「補償法」を議員立法で提出し、成立させた国会議員、行政関係者、司法関係者だけでなく、報道関係者や医療界の責任も問われる裁判であったはずです。(拙著『飛礫』49号、158ページ参照)。
これが、被害事実は「小鹿島更生園の入所者」の原告らが、いのちをかけた証言などで明らかにされたし、曲りなりにも、その被害事実の国家責任も法廷で明確化したと思う。しかし、ソロクト訴訟「敗訴」後の弁護団のこの問題への対処の仕方には多々疑問がある。例をあげて言及しておく。
(第二例)「ソロクト・楽生院補償請求弁護団」代表・国宗直子、徳田靖之『ソロクト・楽生院訴訟に一層のご支援を』(2005年10月29日付け)の記述をみると、つぎのようなことばが、散見する。
「‥‥ ① 政府・厚生労働省に対して、ソロクト・楽生院問題の早期解決が必要であり、そのためには、控訴審での判決による解決ではなく、早急に政治的な解決を図るしかないということを認めさせることができた。② しかし、具体的に、告示の改正で解決するのか、補償法の改正によるのかについて、政府内に意思統一が図れていないため、政府としては、楽生院判決に対して控訴したうえで、方針を決めようとしている。(補償法の改正による場合には、来年1月の通常国会まで、解決が引き延ばされることになる)」。
「‥‥当面の行動目標を、①楽生院判決の控訴を阻止すること。②厚生労働省告示の改正による早期全面解決を図ること、と定め、その実現のために、厚生労働大臣との面談を求めました。(このような方針を採ったのは、ソロクトの不当判決ですら、告示を改正し、ソロクトや楽生院が補償法の対象であることを明確にすることは、補償法の趣旨に反しないと認めているからです)‥‥」。
(第三例) 「HITASURA~宮里新一ページ~」の掲示板で、2005年10月12日付けで「ソロクト・楽生院補償請求弁護団」代表兼事務局長の国宗直子弁護士はnaoko の「このホームページ」の管理者名でいう。
「‥‥日本の原告たちは、2001年5月に勝利したからといって、あとは何もしなかったでしょうか? 否です。
その後の和解を認めさせるたたかい、遺族・非入所者の和解を支えたたたかい、入所者の権利擁護や退所者の権利の確保のたたかい、検証会議を進めさせてきた力、エトセトラ、エトセトラ・・・。今もそのたたかいは続いています。どんな課題にも、みんなが力を合わせて取り組んできました。
日本の原告たちは、その後に起こった、ソロクト・楽生院裁判は自分達に関係がないこととして素知らぬ顔をしたでしょうか? 否です。菊池恵楓園原告団は裁判が始まると真っ先に裁判支援の記者会見を行ってくれました。東京や各地で開かれたいくつもの集会には、大勢の日本の原告団の姿がありました。私は、この連帯の力を信じます。
そして今度は、ソロクトと楽生院の裁判で勝利して、この勝利の喜びをみんなと共有したいと思います。この裁判に勝てばすべてが解決するわけではありません。ひとりひとりの原告の補償を勝ち取る課題、定着村からの補償請求を成功させる課題、韓国や台湾でも人権回復を進めていく課題。課題は山積しています。しかし、この裁判に勝利しなければ出発はありません。この裁判に勝ったら、「勝った!」って喜びましょうよ。
http://www15.ocn.ne.jp/~srkt/ 」と。
では、「ソロクト・楽生院補償請求弁護団」代表兼事務局長の国宗直子弁護士に聞こう。2006年=本年2月3日以降、私の知る限り、日本の原告たち、「ソロクト・楽生院補償請求弁護団」の弁護士たち、は現在、小鹿島更生園の入所者していた方がたとどのような連帯をして、闘いをしているのですか。http://www15.ocn.ne.jp/~srkt/ を見ても、小鹿島訪問や弁護団会議はしているようであるが、その具体的内容はいっこうに見えてこない。
私は、『滝尾英二的こころ』の本年(=2006年)10月19日の掲示板につぎのような掲載をした。
「‥‥この「10月2日=補償法審査会 韓国在住請求者24名に支給決定」の記事・報道は、私の見る限り、皆無である。これはどういうことか。補償法申請者は、437人である。ソロクト原告らの東京地裁での「敗訴判決」があったには、2005年10月25日。それが政治決着して、衆参両院の国会で「改正補償法」が可決したのが、2006年2月3日。公布制定が同年2月10日‥‥。
ところが、その後の韓国の「補償申請者」への補償金支給決定の「ろさ(鈍さ)」を、「ソロクト訴訟」に原告らが敗訴した後、とりわけ、2006年2月3日の「改正補償法」公布・制定した後の「小鹿島更生園・台湾楽生院補償請求弁護団」は、いったい関係者たちに、どのように説明し、また「声明」、および「全員申請者の支給決定」を政府に迫る「運動・取り組み」などを、どのようにしたか、また、するつもりであろうか。
「ソロクト補償申請者へ補償支給決定を一日も早く、一刻も速やかに!」と叫んでいた小鹿島更生園・台湾楽生院補償請求弁護団、その支援者たちは、こうした現状をどのように捉えているのだろうか。補償申請者は、437人いたはず。その後も死亡者は相次いでいると予想される。生きているうちに「国家による慰謝(=謝罪)とそれに基づく補償金の支給決定」は、いつ行なわれるのだろうか」と。
それに対して「小鹿島更生園・台湾楽生院補償請求弁護団」として、責任はないのか。否、責任を感じていないのか。2月3日に「改正補償法」が国会で成立してから、既に9ヶ月が経過しようとしている。しかし「小鹿島更生園・台湾楽生院補償請求弁護団」は、未だに「沈黙」したままである。日本の原告たちや小鹿島更生園・台湾楽生院補償請求弁護団は、前述の「HITASURA~宮里新一ページ~」の掲示板で国宗直子弁護士がいう「小鹿島更生園入所者の申請者などと、連帯して闘う姿を知りたいと思う。これに国宗直子弁護士は答えて欲しいと切に思う。
また、(第二例)でいう国宗直子・徳田靖之両弁護士のいう「‥‥具体的に、告示の改正で解決するのか、補償法の改正によるのかについて、政府内に意思統一が図れていない」ということは、どういう裏付けで言い、事実、「同弁護団」は、2001年6月15日に成立の議員立法である「補償法」をそのままにして、「改正補償法」によらず、2001年6月の「告示」に、小鹿島更生園・台湾楽生院の追加記載を主張し、国会対応も「改正補償法」の取り組みが遅れたのではないかと私は思っている。これでよかったのだろうか、という疑問がある。
(以下、つづく)。
