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2006年1月20日 (金)

「ハンセン病補償法改正案」に対する韓国の報道論調です【滝尾】

    福留範昭先生から、滝尾宛てに送信していただいた1月19日の日本の通常国会で議員立法で審議されようとする法案「ハンセン病被害者補償法改正案」に対する韓国の報道記事の見解です。批判的な見解である点に、ご留意下さい。

 福留、森川両先生! 毎度のことですが、ありがとうございました。

  2006年1月20日(金) 14:40  人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二より 

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1) 日本、韓国などのハンセン者に、1人当たり800万円ずつ補償 (聯合ニュース)
2) 強制徴用糾明 「歳月よ、歳月よ」 (京郷新聞)
3) <寄稿 / 有光健> 「韓国政府、日本に戦後補償要求すべき」 (東亜日報)
4) 私たちの中の小鹿島 (ハンギョレ)

1) ***************************
[聯合ニュース 2006/01/19 16:50]

【日本、韓国などのハンセン者に、1人当たり800万円ずつ補償】

(東京=聯合ニュース) シン・ジホン特派員= 日本の政権党である自民党は、日帝強占期に強制隔離・収容していた韓国と台湾などの外国のハンセン者に、1人当たり800万円を補償する方案を推進することにした、と朝日新聞が19日報道した。

自民党は、野党との調整を通して、このような内容のハンセン病補償法改正案を、20日に開会する定期国会に与野党の議員立法として提出することにした。

1人当り800万円は、強制隔離・収容されていた日本のハンセン者に与えられた補償額に多少及ばない水準だ。

日本政府は、自国のハンセン者には、収容所への入所期間に比例して、800万~1,400万円を補償している。しかし、自民党は、外国のハンセン者には一律に800万円を補償する方案を法案に盛り込んだ。

厚生労働省の検証会議は、昨年3月に発表した報告書で、日帝強占期の外国のハンセン者が、日本のハンセン者と同じ人権被害を被ったと指摘した。

また、昨年10月東京地裁は、日帝の韓国と台湾のハンセン者の強制隔離政策と関連した2件の訴訟で、台湾のハンセン者側には勝訴を、韓国のハンセン者には敗訴の、くい違う判決を下した。

以後、日本政府は台湾の訴訟を控訴したが、同時に両国のハンセン者に補償する方案も検討してきた。

<森川静子訳>

2) ***************************
[京郷新聞 2006年1月19日 22:50]

【強制徴用糾明 「歳月よ、歳月よ」、「いつまで待たなければならないのか」】

朴某氏(54)は、日帝強占期に強制徴用された父親に対する真相究明の話になると、溜め息をつく。

朴氏は、昨年2月政府が日帝による強制徴用被害の受付けを始めると、父親の徴用事実を立証するための書類を「日帝強占下強制動員被害真相究明委員会」に提出した。

しかし、申請を終えて1年が過ぎようとしているのに、進捗状況に関して、一言も聞貸されていない。

真相究明は、強制徴用者であることを立証しうる書類を通して、書類がない場合は、徴用事実を知っている証人に確認する方式でなされている。

朴氏の場合、父親が当時徴用現場の日本から家族に送った手紙2枚が根拠書類の全てだったが、これを紛失した。このため、徴用および手紙紛失の事実をよく知っている二人の叔母の隣保証[正しくは、隣友保証]をもらい、書類を提出した。

しかし、昨年11月年上の叔母が老患で死亡し、もう一人の叔母も糖尿病の症状が重篤だ。この叔母まで死亡した場合、父親の徴用事実を明らかにする人がいなくなる。

朴氏は、委員会に隣保証人が亡くなった場合、その後の確認手続きがどうなるのか何回も問い合わせたが、明確な回答を聞くことができなかった。

彼は、「公証でも受けるかと考えているが、死後の隣友保証が有効かどうか分からない」といい、もどかしさを吐露した。

◇ 遅すぎる処理手続き= 真相糾明委員会で受け付けられた件数は19日現在、21万件余り。しかし、委員会が1年間で検討した書類は2万余件に過ぎず、このうち被害事実が確定したものは5,100件余りで、全受付件数の4%だけだ。

その上、確定した事例は徴用事実を書類で明確に、立証できる場合で限定されている。朴氏のように隣友保証を付けた人は8万人余りに達するが、まったく検討対象から除外されている。

隣友保証に関しては、どのように被害事実を口証するのか明確な基準も準備されない状態だ。

太平洋戦争犠牲者遺族会の梁順任(ヤン・スニム)会長は、「政府が処理基準を出さないでいる間に亡くなる方々に対しては、政府が立証責任を負わなければならない」と語った。

委員会は、「被害調査の人員が25人に過ぎず、資料検討に多くの時間がかかる」とし、「27日頃隣友保証の処理基準を準備し、後続措置をとるだろう」と明らかにした。

◇ 残る問題点= どれだけ多くの期間がかかるのか分からないが、一旦被害確認手続きが終了しても、真相究明と共に、犠牲者の霊を慰労する慰霊塔建設、補償などの問題が残っている。

遺族たちは、真相究明と共に政府の補償も要求してが、該当特別法では、真相究明および慰霊塔建設に委員会の活動を制限している。補償に関する根拠は全くないのだ。

政府は当初昨年12月末までに補償手続きをまとめると明らかにしたが、今年の上半期中に延期した状態だ。

補償方式をめぐっても、意見が対立している。政府は、生活安定支援法(国会係留中)に根拠を置き、生計費名目で支援するという腹案を持っているが、被害者らは生計費でない報償金支給を要求している。

遺族たちは、「もの乞い」ではなく、報勲次元の「補償」を望んでいるのだ。補償主体に関する論議も、解決すべき課題だ。

韓・日協定を通して、韓国政府が補償金を受けたのだから、政府が責任を負わなければならないという意見と、日本側の明確な補償意志がなかったので日本政府が補償しなければならないという見解などが交錯している。

             (チョ・ヒョンチョル・イム・ジソン記者)

■強制徴用真相究明日誌

▲2004・2・13 真相糾明等に関する特別法 国会議決
▲04・11・10 真相糾明委員会発足
▲05・2・1 強制動員被害申告および真相調査申請受付開始
▲05・6・30 第1次受付完了
▲05・12・12 第2次受付開始
▲06・1・11  5,229件の被害認定

3) ***************************
[東亜日報 2006年1月20日 03:20]

 【寄稿 / 有光健> 「韓国政府、日本に戦後補償要求すべき」】

終戦60年、日韓修交40周年の2005年に戦後問題解決が大きく進展することを期待したが、そうはいかなかった。これに関与してきた一人として、残念に思わざるをえない。

戦後問題解決を妨げてきた最大の障壁は、A級戦犯を合祀している靖国神社への参拝をこれ見よがしに強行している小泉純一郎日本総理であるに違いない。そのような頑固な歴史認識を持った総理が、国民の人気を得ているという事実が残念だ。

一方、韓国側はこの間どうだったか。2004年7月済州で開かれた韓日首脳会談で、盧武鉉大統領は、「私の任期中は、韓国政府は韓日間の過去の問題を公式的な議題や争点にしないようにする」と言った。しかしながら、昨年3月日本政府に過去史の真相究明と謝罪、賠償などを要求し。

こういう姿は、説得力に欠け、無気力に見えさえした。こういう韓国政府の態度に対し、日本の外相は、「韓国政府の意中が分からない」という反応を見せた。この時、韓国政府は外交チャンネルを稼動させ、日本政府のそういった反応に正面から対応すべきだった。

昨年11月のアジア太平洋経済協力体(APEC)首脳会議に際し、両国首脳が会った時も、盧大統領は当時盛んに問題になっていた靖国神社参拝や教科書歪曲、独島問題をより一層浮き立たせようとする意図があっただろうが、これ以上謝罪や賠償を要求しない」と言った。

続いて盧大統領は、「個人の個別請求権は残っている」と蛇足を付け加えたが、果たして適切な発言であっただろうか。日本の外務省はいち早く公式声明で、こういった内容をホームページに発表し、新聞やテレビも素早く報道してしまった。

韓国政府としては、その時も明確な意味を再び明らかにすべきだった。特定の目的だけをねらって、他のことを疎かにするのでなく、総体的戦略的、そして併合的な交渉が賢明な対応だという気がする。

歴史認識も重要な問題だが、人権問題は決して過去の問題として終わりえない。

昨年は、17人の日本軍慰安婦が恨(ハン)多き生涯を終え、戦時に右腕を失い、60年間日本政府を相手に独り最高裁判所まで闘ってきた釜山の金成壽(キム・ソンス)氏も亡くなった。

南方戦線で捕虜監視員として動員され、B級・C級戦犯の汚名を負った人たちもいる。

終戦後日本人と共に強制労働をしてソ連に抑留されて帰ったきた人たち(朔風会会員)もいる。彼らは、戦争が終わって一週間余りの1945年8月23日からソ連の地に強制連行され、冬季には零下55度にまでなる極寒の地で飢餓と強制労働、酷寒の三重苦を体験した人たちだ。

運良く再び祖国の土を踏んだ韓国人は500人余りだったが、彼らも今では約30人しか残っていない。朔風会は終戦後の事件であり、請求権協定対象とは何の関係もないにも関わらず、韓国政府はどうしてずっと沈黙しているのか。

慰安婦とサハリン徴用者、被爆者も請求権協定の対象になっていないが、適切な措置は講じられていない。

日本政府は戦後問題に関して、相手方が公式的な問題提起をしない限り、進んで良心的な措置はしない傾向がある。返事はいつも終始一貫している。「終わった」だ。

韓国政府の姿勢が一層明白で、決然としていなければならない理由が、まさにここにある。

             (有光健 日本戦後補償ネットワーク代表)

4) ***************************
[ハンギョレ 2006年1月19日 22:12]

【私たちの中の小鹿島】

「人々がチン(鉦)とドラを打ち鳴らしながら集まってきた。テントの中に逃げる込んだので、竹槍を目茶苦茶に突き刺した。傷つき出血して、大騒ぎになった。ガソリンが撒かれ、火がつけられた。出て行っても殺されると、死んだふりをして隠れていた。」

1957年8月、慶尚南道の小さな島ビトリで、農地を作るため土を掘り起こしていたハンセン者28名が、竹槍で突かれ、焼かれて亡くなった。

虐殺の主犯は、「ハンセン病患者と一緒には住めない」という隣住民たちだった。50年近い歳月が流れたが、生存者たちの証言と記憶は、おぞましいほど生々しい。

ハンセン者たちは、63年伝染病予防法が改正され、法的隔離が解除された後でも、定着村を抜け出せなかった。別名「フリガリ」と呼ばれた一斉取り締まりにかかれば、まちがいなく小鹿島(ソロクト)などの定着村に引きずられて行った。

子供を取って食べるという俗説のために、ともすると誘拐犯にされ、感染の心配がないハンセン病歴者と2世たちも、一般学校に通うことは不可能だった。

80年代後半にいたるまで、「精管手術をしなければ、部屋を与えない」と言われ、結婚前に断種手術を受けなければならなかった。今でも事情はそれほど異ならない。

薬物治療で99%完治するだけでなく、遺伝性がないという事実は、それほど重要でないと思われる。

言葉では、ハンセン者と近隣として住むことは「別に問題ない」(63%)とか、「何でもない」(11%)と言うが、実際町内の浴場や床屋を一緒に利用したがらない人が大部分(80%)だ。

定着村に隔離するのは避けられない措置(60%)であり、ハンセン者2世との結婚は考えられないこと(87%)だ。(国家人権委員会アンケート調査)

ハンセン者に限った問題ではない。町の近所に障害者施設が建てられることになると、「住民一同」は間違いなく「絶対反対」の横断幕を掲げる。

性的少数者とエイズ感染者は、彼らが「変態」者であるから問題であり、移住労働者は少々冷遇しても構わないと思われているのだ。予備役の人たちは、信念であれ何であれ、軍隊を拒否する若者たちが憎らしいだけなのだ。

社会的弱者と少数者に対する偏見と差別意識は、あちこちで内面化されている。

ハンセン者がそうであるように、障害者、移住労働者、セト民(北からの脱出者)、同性愛者など隣人として暮らすのは、なぜか不便で好ましくない。

最近、国家人権委員会に熱心に礫(つぶて)を投じている保守言論と財界の論理は、こういう二重性に、洪世和(ホン・セファ)氏の言葉を借りると、「存在を裏切られる意識」に巧妙に寄り添っている。

考えてみれば、偏見と差別に対抗して戦ったのは、人権委ではない。肌色があんず色に変わる過程には大胆な小学生たちがいたし、強制的な日記帳検査を児童人権侵害として陳情したのはある小学校教頭だった。

[※訳注 :  2001年11月、外国人たちは国家人権委員会に、クレパス製造業社を相手に「特定色を『はだ色』と名付けているは、憲法第11条の平等権を侵害する素地がある」と申請した。人権委は、改訂を勧告し、以後、技術標準院は産業規格KS標準から「はだ色」を無くし、文具類などでは「はだ色」の系統色の名称である「軟朱黄」を使用することにした。
  しかし、小中学生6名が2004年8月、「難しすぎる漢字語である『軟朱黄』を使うのは子供に対する差別だ」と人権委に申請を申し立てた。これを受け、昨年5月、技術標準院はKS標準名称として、「あんず色」を最終確定した。]

背が1㎝足りずに、警官になる夢をかなえることができない若者の呼びかけは、公務員採用時の身体規定を撤廃する勧告を導き出した。

人権委は、彼らの声を無視しないで傾聴したに過ぎない。しかし、現実を見ると、国家アイデンティティーまで云々して、大げさに騒ぐことでもないようだ。

肌色があんず色に変わったとしても、移住労働者の生活は相変らず厳しく、良心的兵役拒否者は、今でも黙黙と1年6ケ月の監獄行を選んでいる。

警察の身体規定廃止勧告は、「それでは、筆記試験も差別か」という警察総帥の一言で葬られてしまったし、非正規職差別に対する意見表明は、労働部長官が立ち上がり、「よく知らなければ、勇敢だ」と一蹴しはしなかったか。

黒人人権運動家マーティン・ルーサー・キングは、生前に「悲劇は悪しき人の粗野な叫び声ではなく、善良な人の鳥肌の立つ沈黙」だとし、社会全体の自省を促した。

私たちの中の小鹿島は、依然として多い。

            (金フェスン論説委員)


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