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2006年1月 5日 (木)

「検証会議最終報告書」のもつ基本的欠陥

 「ハンセン病問題に関する検証会議」は、何を検証しようとしたのか (第二回)
   ―「検証会議最終報告書」のもつ基本的欠陥は、どこにあるのか―

                    人権図書館・広島青丘文庫  滝 尾 英 二
                            (2006年1月5日、記す)

【はじめに】

(1)「ハンセン病問題に関する検証会議・報告書」を考える資料

 資料01、『2002年度ハンセン病問題検証会議・検討経過報告書』ハンセン病問題に関する検証会議(2003年3月)A4判・130-ジ

 資料02、『2003年度ハンセン病問題検証会議・報告書』ハンセン病問題に関する検証会議(2004年4月)A4判・342ペ-ジ

 資料03、『ハンセン病問題に関する検証会議・最終報告書(要約版)』ハンセン病問題に関する検証会議(2005年3月)A4判・114ペ-ジ

 資料04、『ハンセン病問題に関する検証会議・最終報告書』ハンセン病問題に関する検証会議(2005年3月)【コピー版】A4判・888ペ-ジ

 資料05、『(別冊)ハンセン病問題に関する被害実態調査報告書』ハンセン病問題に関する検証会議(2003年3月)全ページ版(PDF5MB)

 資料06、『(別冊)胎児等標本調査報告』ハンセン病問題に関する検証会議(2005年3月)全ページ版(PDF334KB)

 資料07、滝尾英二著「ハンセン病問題検証会議への意見書――植民地下朝鮮でのハンセン病政策の被害と責任所在を明らかにせよ」(『飛礫』44号<秋季号>=2004年10月発行)100~118ページ

 資料08、滝尾英二著「日本の植民地支配下にあったミクロネシアのハンセン病隔離政策の被害と国家責任」(『飛礫』47号<夏季号>=2005年7月発行)41~55ページ

 資料09、藤野豊著「<連載>ハンセン病問題と天皇制(三)」(『飛礫』47号<夏季号>=2005年7月発行)153~160ページ

 資料10、滝尾英二著「藤野豊氏の『ハンセン病問題』に関する認識と行動への疑問――『ハンセン病問題と天皇制(三)』(『飛礫』47』)の記述と『富山シンポジウム』の問題性」(『飛礫』48号<秋季号>=2005年10月発行)136~148ページ

 資料11、滝尾英二著「ソロクト訴訟はなぜ敗訴したか――今後の闘いにむけて――」(『飛礫』49号<冬季号>=2006年1月発行)148~160ページ

 資料12、「ハンセン病療養所における胎児等標本に関する要望書」ハンセン病問題研究会・世話人代表 村岡潔(2005年12月20日)=(「滝尾英二ウェブ」、2005年12月21日)

 資料13、滝尾英二著「 『ハンセン病問題に関する検証会議最終報告書』「13:日本におけるハンセン病政策と優生政策の結合」の記述の問題点とその批判【前編、中編、後編】」(『滝尾英二的こころ』2005年12月11日、15日、25日付け掲載)

 資料14、滝尾英二著「間違いだらけの『ハンセン病問題に関する検証会議・報告書』―旧植民地、占領地域におけるハンセン病政策―批判」(『滝尾英二的こころ』2005年11月28日付け掲載)

 資料15、滝尾英二著「『2003年度ハンセン病問題検証会議報告書』(2004年4月)への意見書・質問書」(2004年6月11日付け)

 資料16、滝尾英二著「ハンセン病問題検証会議の関係者は、『日本の植民地支配下にあったミクロネシアのハンセン病隔離政策の被害と国家責任』を明らかにせよ!――ハンセン病問題に関する検証会議・最終報告書批判――」人権図書館・広島青丘文庫(2005年3月3日発行)A4判10ページ

 資料17、「ハンセン病問題検証会議・検討会 開催日程・議事録・提言等」日本弁護士連合会法務研究財団(2005年12月)

 資料18、『ハンセン病問題に関する検証会議・資料編』日本弁護士連合会法務研究財団(2005年3月31日)

 資料19、『2005年10月25日、東京地方裁判所第3部「ハンセン病補償金不支給決定請事件」判決文』(裁判長・鶴岡稔彦、裁判官・古田孝夫、裁判官・進藤総一郎、下級裁主要判決情報、A4判46ページ

 20資料、川田悦子著・発行『えつこ通信・第5号――ストップ・ザ「なれ合い政治」』(2001年8月1日)

(2)「検証会議最終報告書」のもつ基本的欠陥の構造

 【問題点その一】、「アジア・太平洋地域」の「日本帝国」が侵略して植民地支配したハンセン病患者への被害責任の追及することを疎かにして、「自国内のハンセン病政策による被害実態」の調査・研究を中心に検証・調査していったという排外性をもっていたことである。

 【問題点その二】、ハンセン病患者の被害実態に検証の力点を置き、それをもたらした「責任」の追及が曖昧で、弱いことである。特に、「天皇制」支配に基づく権力構造の検証と追及がなされていないか、あるいは、極めて弱い。

 【問題点その三】、「検証会議最終報告書」を読むと、各章によって出来、不出来が目立っている。検証会議が、個々の検討会委員の研究者による個人的研究に依拠し、検証会議が全員で時間をかけた充分な検討・審議が不足している。また、行政権力=とりわけ、厚生官僚への配慮が強く、そのことが真相究明、責任追及を曖昧なものとしたことは否めない。そして部外者からの意見・研究を、ほとんど聞くことをしない「セクト」主義的傾向が強かったことである。

 【問題点その四】、結局、2001年5~6月の「補償法」の国会審議の延長線上に、「ハンセン病問題に関する検証会議」があったことが、「検証会議最終報告書」がもつ内容を視野の狭いものにしてしまった。

【第一章】「検証会議最終報告書」も亦、2001年6月成立した「ハンセン病補償法」の内容に引継がれ「国内だけのハンセン病政策」の検証を中心の書かれた「排外的内容」の色強いものであること。

(1)『2003年度ハンセン病問題検証会議・報告書』(2004年4月)の内容のスタンスは、『ハンセン病問題に関する検証会議・最終報告書』(2005年3月)にも引継がれたこと。

〔その一〕私が、滝尾英二著「『2003年度ハンセン病問題検証会議報告書』(2004年4月)への意見書・質問書」(2004年6月11日付け(資料15)や、滝尾英二著「ハンセン病問題検証会議への意見書――植民地下朝鮮でのハンセン病政策の被害と責任所在を明らかにせよ」(『飛礫』44号<秋季号>=2004年10月発行)1(資料07)で批判したように「国内だけのハンセン病政策」の検証を中心に書かれていて、「排外的内容」の色強いものであることは、引継がれにも引継がれている。

 なるほど、「検証会議最終報告書」の「第十七 旧植民地、の本占領地域におけるハンセン病政策」の内「第1 韓国」(705~718ページ)は、『2003年度ハンセン病問題検証会議・報告書』の「第十 旧植民地、の本占領地域におけるハンセン病政策」の内の「一 韓国」(264~272ページ)に比較すれば、記述内容は改善された。しかし、同じ「第十七 旧植民地、の本占領地域におけるハンセン病政策」の内の「第3 日本占領地地域」(724~731ページ)、とりわけ「第4 太平洋地域」(726~727ページ)の記述は、まったく良くなっていない。特に、南洋庁が設置したミクロネシア四島の「ハンセン病療養所」の記述は間違っている。

 私は、「検証会議」が最終報告書を厚生労働大臣に提出した2005年3月1日の翌々日の3月3日に、滝尾英二著「ハンセン病問題検証会議の関係者は、『日本の植民地支配下にあったミクロネシアのハンセン病隔離政策の被害と国家責任』を明らかにせよ!――ハンセン病問題に関する検証会議・最終報告書批判――」人権図書館・広島青丘文庫(2005年3月3日発行)A4判10ページ(資料16)を送ったが、「ハンセン病問題検証会議」からは、何ら返答はなく同「検証会議」は、3月31日に解散した。

 さらに、私は滝尾英二著「日本の植民地支配下にあったミクロネシアのハンセン病隔離政策の被害と国家責任」(『飛礫』47号<夏季号>=2005年7月発行)(資料08)を掲載する。「植民地支配下にあったミクロネシアのハンセン病隔離政策の被害と国家責任」に関しては、888ページに及ぶ『最終報告書』の「第4 太平洋地域」(726~727ページ)の記述は、つぎのように記述しているのみである。

「日本は、1919(大正八)年以降、マリアナ・マーシャル・パラオ・カロリン諸島を国際連盟の委任統治として事実上、植民地支配し、1928(昭和3)年にヤルート島に、1929(昭和4)年にサイパン島に、1930(昭和5)年にヤップ島に、1931(昭和6)年にパラオ島に、南洋庁がそれぞれ小規模なハンセン病療養所を設置していたが、1941(昭和16)年12月の米英開戦以降、太平洋地域の島嶼の占領を拡大した。」(726ページ)。

 この「南洋庁がそれぞれ小規模なハンセン病療養所を設置」の記述は、厚生省医務局療養所課内国立療養所史研究会編集・発行『国立療養所史(らい編)』1975年9月発行の「Ⅲ らい百年史年表」の間違いと一致する。『国立療養所史(らい編)』1975年9月発行には、「1928(昭和3)年**南洋庁、ヤクート癩療養所設立」「1929年**南洋庁、サイパン癩療養所設立」「1930(昭和5)年**南洋庁がヤップ癩療養所設立」「1931(昭和6)年**南洋庁がヤップ癩療養所設立」と書いている(17~19ページ)とよく似ている。

 或いは、清水寛埼玉大学教授著『植民地台湾におけるハンセン病政策とその実態』「植民地社会事業関係資料集・台湾編」別冊【解説】)近現代資料刊行会・2001年6月刊行)の「表14 日本とその旧植民地・占領地におけるハンセン病政策の沿革」(232ページ)により、間違った「南洋庁が設置したミクロネシア四島の「ハンセン病療養所」の記述を『検証会議最終報告』は記述したのかもしれない。

 正しくは、南洋庁編・発行『昭和八年版・南洋群島要覧』1933年12月28日発行の「大正十五年(1926年)サイパン島に、昭和二年(1927年)ヤルート島に、昭和六年(1931年)パラオ島に、昭和七年(1932年)ヤップ島に各療養所を設け患者を収容隔離する」(143ページ)が、南洋庁が設立したハンセン病療養所の設立年である。

 なぜ、「検証会議最終報告書」は事実に反することを書き、かつまた、検証会議の任期中の2005年3月3日には、そのことを滝尾に『日本の植民地支配下にあったミクロネシアのハンセン病隔離政策の被害と国家責任』を明らかにせよ!――ハンセン病問題に関する検証会議・最終報告書批判――」人権図書館・広島青丘文庫(2005年3月3日発行)として指摘されても、正さなかったのか。

(2)そして、9ヶ月余り経った12月12日になって、「ハンセン病問題に関する検証会議」2005年3月解散)の元委員が「見解・報告書」を書いた。もっと早く「報告書」なるものが出せなかったのか。

 2006年2月5日(日)14:00~18:00、場所 菊池恵楓園恵楓会館(熊本県菊池郡合志町)で内田博文検証会議元副代表、市民学会共同代表が、<基調報告(一)>として『検証会議元委員が全員で出した声明及び見解について』話し、また検証会議元委員・市民学会事務局長の藤野 豊氏が、<基調報告(二)>として、『日本の旧植民地・旧占領地のハンセン病政策』を報告するという。内田氏も藤野氏もともに元・検証委員である。

「検証会議最終報告書」の「第十七 旧植民地、の本占領地域におけるハンセン病政策」で、このような不様な内容を書いた反省・自己批判の上にはっきりした「総括」をした上で、前記のような「基調報告」をしなければ、この集会参加者に対する冒涜となるであろう。

〔その二〕しかし、問題の深刻さは「第十七 旧植民地、の本占領地域におけるハンセン病政策」のみにあるのではない。「検証会議最終報告書」の章の立て方自体が、もともと「日本の植民地・占領地域のハンセン病政策」を単に、「日本のハンセン病対策の全体像を明らかにする一助として、植民地時代における‥‥‥ハンセン病対策について現地調査と文献調査を行った」(「『2003年度ハンセン病問題検証会議報告書』(2004年4月)264ページ」ということであろう。

 『ハンセン病問題に関する検証会議・最終報告書』ハンセン病問題に関する検証会議(2005年3月)の各章をみてもそのことがいえよう。例えば、「国立療養所入所者を対象とした調査」にしても、日本国内の「「国立療養所入所者」を調査対象としているだけで、日本の「国立療養所」であった小鹿島更生園・台湾楽生院・ミクロネシア四島の収容所に日本統治期に収容した人たちへの「国立療養所入所者を対象とした調査」はなされていない。

 また、日本国内の13の国立療養所には2日間をかけて、検証会議委員・検討会委員をはじめとし、大勢の参加者が「聞き取り調査、意見交換、園内見学」などを行なっているのに対し、旧・植民地の国立療養所であった小鹿島更生園、台湾楽生院の二園に少数者が訪問調査を行なったにとどまり、ミクロネシア四島には、調査・訪問すら行なってはいない。日本占領地域の調査訪問も、検証会議としては、行なっていない。

 つぎに、『検証会議・最終報告書』の各章ごとに見ていくと、例えば、「宗教界の役割と責任」(413~452ページ)にしたも、植民地において「宗教界が果たした役割と責任」が大きいのであるが、そのことがまったく記述していない。

 また、「マスメィデアの役割と責任」(539~608ページ)をみると、つぎのような無責任な発言が記述されている。すなわち、ハンセン病に関するマスメィデアの役割を検証することは、‥‥本件については先行研究がほとんど存しない(539ページ)なんだそうである。

 滝尾英二編・解説『植民地下朝鮮におけるハンセン病資料集成』の第4巻・第5巻は、「新聞記事にみるハンセン病」を収集・発行している。(2002年7月発刊)。そして『朝日新聞』や『毎日新聞』の朝鮮版を収録し、報道機関による役割と責任の追及を解説にも書いているのだが、「ハンセン病問題に関する検証会議」が無知なのか、これは、先行研究だと思っていないようだ。

 つまり、かつての「ハンセン病補償法」の2001年5~6月の国会審議同様、植民地・日本占領地域のことは、課題意識にのぼっていない証拠である。

 それが今になって、「私たちは、旧植民地・旧占領地のハンセン病問題の解決なくして日本のハンセン病問題は終わらないとの認識に立ち、検証会議委員の方達と一緒に、このシンポジウムを通して、旧植民地・旧占領地におけるハンセン病隔離政策の被害の実態をさらに検証し、差別の連鎖を断つという視点を深めながら、被害救済において新たな差別を再生産しない責任を果たしたいと考えております。」だと市民学会は言い、また東京会場(2006年1月21日)のディスカッションには、検証会議元委員の検証会議元委員・朝日新聞編集委員 藤森 研氏、検証会議元委員・毎日新聞論説委員 三木賢治氏がなるという。どのようなディスカッションとなるのか、期待はしていないが、楽しみにしている。

                          (以下 次回に掲示する。)

   


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