2006年始めの「メッセージ」のテーマです【滝尾】
「ハンセン病問題に関する検証会議」は、何を検証しようとしたのか。(第一回・序文)
―「日本の植民地・占領地域」のハンセン病政策を究明しようとしなかった検証会議―
人権図書館・広島青丘文庫 滝 尾 英 二
(2006年1月2日、記す)
上記のテーマで、何回かの『滝尾英二的こころ』のメッセージを書こうと思う。
【ハンセン病市民学会】【元・検証会議委員】に対する「批判・検討」を全体的・全面的にする必要があるように考える。その理由から書いていこうと思う。
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*:【ハンセン病市民学会 シンポジウムのご案内】
『旧植民地・旧占領地のハンセン病問題 ―検証会議元委員の発言―』
ハンセン病問題に関する検証会議は、2005年3月、厚生労働大臣に『最終報告書』を提出し、植民地朝鮮・台湾のハンセン病患者は、隔離と民族差別の二重の被害を受けたことを明らかにしました。しかし、残念ながら、その趣旨は韓国ソロクト・台湾楽生院の原告による日本政府に対する補償請求訴訟のソロクト判決には反映されませんでした。これに対し、検証会議元委員全員が連名で、12月12日、厚生労働大臣に韓国・台湾をはじめとする旧植民地で隔離されたハンセン病患者に対し、日本国内と同等の補償を早急に実施するよう、要望書を提出致しました。
最終報告書に対する様々な考え方はあり得るでしょうが、最終報告書を私たち国民の共有の検証の財産とし、つねにその出発点にしていかなければならないのは疑う余地のないことです。
私たちは、旧植民地・旧占領地のハンセン病問題の解決なくして日本のハンセン病問題は終わらないとの認識に立ち、検証会議委員の方達と一緒に、このシンポジウムを通して、旧植民地・旧占領地におけるハンセン病隔離政策の被害の実態をさらに検証し、差別の連鎖を断つという視点を深めながら、被害救済において新たな差別を再生産しない責任を果たしたいと考えております。
市民学会の会員だけでなく、広く皆様のご参加とご協力をお願い致します。【東京会場】
日時 2006年1月21日(土)13:00~17:00
場所 多磨全生園公会堂(東京都東村山市)
※入場無料問題提起……検証会議元座長 金平輝子氏
基調報告1 ソロクト・楽生院訴訟の現状と国の対応
・・・・小鹿島更生園・台湾楽生院補償請求弁護団(予定)基調報告2 日本の旧植民地・旧占領地のハンセン病政策
……検証会議元委員・市民学会事務局長 藤野 豊氏ディスカッション……検証会議元委員・全療協事務局長 神 美知宏氏
検証会議元委員・全原協会長 谺 雄二氏
検証会議元委員・朝日新聞編集委員 藤森 研氏
検証会議元委員・毎日新聞論説委員 三木賢治氏==============================
【熊本会場】
日時 2006年2月5日(日)14:00~18:00
場所 菊池恵楓園恵楓会館(熊本県菊池郡合志町)
※入場無料基調報告1 検証会議元委員が全員で出した声明及び見解について
……検証会議元副座長・市民学会共同代表 内田 博文氏基調報告2 日本の旧植民地・旧占領地のハンセン病政策
…… 検証会議元委員・市民学会事務局長 藤野 豊氏ディスカッション……
小鹿島更生園・台湾楽生院補償請求弁護団事務局長
市民学会運営委員 国宗 直子氏
菊池恵楓園自治会副会長・市民学会共同代表 志村 康氏
熊本大学教授・市民学会事務局 小松 裕氏
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このことは、「自国民中心意識」に終始し、裁判の進行の粗末さもあって、ソロクト訴訟を敗訴させた「ソロクト(徳田=国宗)弁護団」の責任が大きい。また、「検証会議」「市民学会」の有りようも問うことをでもある。そこを曖昧にしたまま、ことをすすめることは、事実を「隠蔽させる」ことになり兼ねないと思うからである。しっかりとした総括の上に<ハンセン病市民学会 シンポジウム>は行われるべきである。
「ソロクト弁護団」は確かに敗訴した。裁判の進行がお粗末であり負けたのである。要因は滝尾は『飛礫』49号(2006年1月1日発刊)に「ソロクト訴訟はなぜ敗訴したか―今後の闘いにむけて―」(148~160ページ)に書いているので参照してもらいたい。
しかし、「ソロクトのハラボジ・ハルモニ」の闘いは勝ったのだと私はかねてから思っている。だからこそ、政府はこの「通常国会」でソロクトの方がたにも、楽生院の方がたにも「補償金」を出すという。韓国政府も動き始めた。「勝ったのですよ!」と言うために、今回、1月10~18日の韓国訪問の際、ソロクトの自治会長や委員の方がた、ハラボジ・ハルモニに逢いに行こうと思う。力付けたい気持ちでいっぱいである。
けれども、上記の「市民学会」「元・検証会議委員」たちは、つぎのことを銘記すべきである。そのことを明らかにして欲しい。
(その1)「ハンセン病問題に関する検証会議は、2005年3月、厚生労働大臣に『最終報告書』を提出し、植民地朝鮮・台湾のハンセン病患者は、隔離と民族差別の二重の被害を受けたことを明らかにしました。しかし、残念ながら、その趣旨は韓国ソロクト・台湾楽生院の原告による日本政府に対する補償請求訴訟のソロクト判決には反映されませんでした。」と冒頭で「市民学会」はいう。それは、なぜかを明白にすることが必要がある。なぜ、「ソロクト判決には反映」されなかったのか「元・検証会議委員」はその要因・理由を明らかにしていない。
(その2)「最終報告書に対する様々な考え方はあり得るでしょうが、最終報告書を私たち国民の共有の検証の財産とし、つねにその出発点にしていかなければならないのは疑う余地のないことです。」ともいう。『検証会議最終報告書』は、一資料としては認めるが、「最終報告書を私たち国民の共有の検証の財産とし、つねにその出発点にしていかなければならないのは疑う余地のないことです」とは、おぞましい限りである。それは、主観的な思いあがりに過ぎない。このような歴史認識や社会認識自体が、間違っている。そのことを「検証会議最終報告書」の具体的記述を通して、批判・検討していきたい。
(その3)「検証会議元委員が全員で出した声明及び見解」が、2005年12月12日に出され、同時に、「報告書」も提出された。しかし、これとて「日本の旧植民地・旧占領地のハンセン病政策」の歴史認識も正しいものとはいえない。しかも「ミクロネシア四島のハンセン病収容施設が、南洋庁という日本政府が設立した植民地施設」であったにも関わらず「最終報告書」は、それを「占領地域」とし、その「植民地施設」の内容も書かなかった。この自己反省と自己批判抜きに、検証会議が2005年3月に解散後、その年の12月のなった「元・検証委員」が書いた「報告書」などは、厚生労働大臣=厚生労働省には拘束力をもち得ない。なぜ、滝尾が2005年3月3日に「検証会議」に提議した際、「検証会議」は、それを取り上げなかったのか。「遅かりし内蔵助!」ではないか。
(1)~(3)までのことをどう考えるのかを『滝尾英二的こころ』のメッセージとして書いて行こうと思っている。
2006年1月2日 13:10 滝尾英二より

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