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2006年1月18日 (水)

韓国フォト訪問記【2006年1月10~17日】

                                        (広島青丘文庫 滝尾英二)

1)
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2006年1月11日午前10時、韓国国立・日帝強占下 強制動員被害真相究明委員会事務局長・崔鳳泰さんを同事務局を訪ねて、ハンセン病問題などの意見・要望などを話す。崔鳳泰事務局長は、国家公務員を辞し、「法務法人・三一(大邱)」で、再度、弁護士として、人権問題などに復職されるという。
 11日の夜には、滝尾の宿泊しているホテルを訪ねてこられ、1時間余り、喫茶店で談笑する。日帝強占下 強制動員被害真相究明委員会事務局長時代に関わってきた人間関係を今後も活かして行きたいと言われていた。今後とも、ご協力をお願いしたいと話し、了承を得ることができた。

2)
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「日帝強占下 強制動員被害真相究明委員会事務局内」での写真。ハンセン病問題担当の調査1課、調査委員の方たち。おふたりには、大変、お世話になりました。

3)
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『滝尾英二的こころ』のホームページを見る日帝強占下強制動員被害真相究明委員会調査委員。日本語通訳ができ、パソコンもとても上手だった。滝尾が見方を実地に指導し、説明したら、内容が充実しているので驚いていた。これからは、毎日、開いて訪問し、他の委員たちにも、見せていきたいと言っていた。うれしいことである。さらに充実していきたいものである。
検索しても「滝尾英二的こころ」や「滝尾英二ウェブ」にも、当たれるようにしてみたい、ということであった。まだ、限られたところしか韓国では「滝尾英二的こころ」や「滝尾英二ウェブ」は見られていない。
     

4)
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日帝強占下 強制動員被害真相究明委員会事務局が8階にある「世安ビル」の前で写る滝尾。教弘ビル(教弘文庫が地下にあるビル)から徒歩3分ほどのところに建っている。(2006年1月11日、正午)

5)
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1月11日(水曜日)午後1時30分から2時まで、市庁横にある「釜山銀行ビル」の11階で、人権政策委員会本部長になられた朴燦運さんと懇談した。お忙しい中、時間を割いていただいての意見交換であった。私からは、韓国政府の人権政策の基本をお伺いした。
 日本の弁護団からは、1月22日の東京でのシンポジウムにおいて、韓国のハンセン病全国調査の報告をしてもらいたいという依頼があったそうだが、「調査結果はこの3月末にならないと出ないので、それまでは、国家人権委員会としては報告をすることは出来ない」ということであった。
  朴燦運さんの机上には、『未来』2005年11月号が置かれていた。早稲田大学へ留学している若い弁護士が送ってくれたものだという。滝尾英二著「植民地下鹿 小島更生園での『生体実験――KBS(韓国放送)の取材に答えて』が掲載され、そのなかで、朴燦運さんのことを書いているからであろう。


6)
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1月11日(水9午後2時がら4時まで、滝尾の宿泊している「ソウル・ホテル」に国立ソウル大学・歴史学部の鄭根埴教授が訪ねてくる。十年来の学友である。
韓国人権委員会の依嘱で「チームリーダー」となり、ハンセン病患者・病歴者の全国調査をしているので、滝尾は今回その調査の意見を求められての訪韓であった。
 その後も、鄭教授とは、翌日のソウル大学と、1月16日(月)の人権委員会のハンセン病問題シンポジウムに滝尾も出席し、鄭教授はそのシンポの報告者の一人であったため、今回の韓国訪問では3回会ったことになる。

 11日は、滝尾が宿泊しているホテルの室内で行なった。1月22日に明治大学駿河台校舎リバティータワー1階ホールで「~弁護団」主催で開催され、鄭教授がその最初の報告者である「=ともに生きる=日韓台共同シンポジウム~ハンセン病隔離政策からの被害回復をめざして~」のことなども話し合った。

 同シンポジウムは、第一部「基調提案」と「~同弁護団のHP」には書かれていながら、肝心の日本からの「基調提案」は、なされるとは書かれていない。韓国も台湾も「補償(法)立法の動向」は「基調提案」はあっても、日本からは「「補償(法)立法の動向」はなされない。侵された韓国・台湾をされておいて、侵した側の日本が「基調提案」をしないのは、納得いかない。そのことを話すと、鄭教授も大いに同感された。

 それから、「非入所者」のハンセン病患者の被害事実と、その家族の被害事実について確認した。このことは、小鹿島訪問したときも、金明鎬自治会長と話し合い、また 1945年以前の「入所者名簿」が「消失」する事態が発生した後60年が経った現在、入所していたことを確認する方法に関しても意見の交換をしたので、後刻お知らせする。
 その夜は、「韓国の秋葉原」といわれる鐘路四街へ「1月24~26日の国会議員会館前の座り込み」用のCDを買いに行った。「アリラン集」など購入したが、ついでに、「チョウ・ヨンピル、ライブ・コンサート=THE HISTORY」のDVDなどを買ってしまった。歌手生活35周記念コンサートだという。

7)
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ソウル大学16棟で、大学院生・ソウルの大学助教授たちが鄭根埴教授(向かって左から3人目)を囲んで「人権ゼミ(今回のテーマは、沖縄問題であった)」をしているところ。若い女性は、在日朝鮮人=横浜出身で、現在ソウル大学博士課程生である。日本語も堪能なので、「ゼミ終了後」、鄭教授と滝尾の通訳をしてくれた。

 終わって、夕食のブルコギ(焼肉)とお酒の会があり、私も招待を受けた。集まったのは男性ばかりであった。やはり「儒教の社会」だと思う。教科書問題を韓・日共同で研究している大学の研究者が同席していたので、滝尾から、「七三一部隊の人体実験」の問題提議をふまえた滝尾の論考「植民地下小鹿島更生園での<生体実験>――KBS(韓国放送)の取材に答えて」が掲載されている『未来』誌2005年11月号を寄贈しておいた。山の斜面に広大に拡がる校地には、新しい校舎が多く、市内にあったソウル大学を1970年他校と直ちに連帯して学生運動させないため、この地に移したのだという。今はまったくといっていいほど学生運動はない。かつて、鄭教授がいたときの国立全南大学(光州にあったが~)の騒然とした明るさが、現在のソウル大学には見ることができない。


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