« 2005年10月 | トップページ | 2005年12月 »

2005年11月28日 (月)

間違いだらけの 『ハンセン病問題に関する検証会議・報告書』の記述の「批判」 【滝尾】

間違いだらけの『ハンセン病問題に関する検証会議・報告書』―旧植民地、占領地域におけるハンセン病政策―批判(その1)

               人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二
                        (2005年11月27日・記す)

 【その1】「満州」は「旧植民地~」の節で、「南洋庁」統治下の「ミクロネシア四島」を「占領地域」の節で記述していることは適当でない。また、「旧植民地、日本占領地域におけるハンセン病政策」の章の記述には、誤った記述や不十分な書き方が目立つ。

(1)まず、「パラオ共和国とサイパン(米国自治領)、ヤップ(ミクロネシア連邦)、ヤルート(マーシャル諸島共和国)」の『ハンセン病問題に関する検証会議最終報告書』の記述からみていこう。

 1922年3月31日に「勅令」で南洋庁官制を公布し、4月1日それを施行し、初代長官に手塚敏郎を任命している(『官報』)。したがって、これら四島は「日本帝国」の植民地であった。こうした認識がないので『検証会議最終報告書』は、「日本占領地域」のなかの「3.太平洋地域」として、「ミクロネシア四島」で記述した。そのことは、『検証会議最終報告書』の関係者が、こうした歴史事実を知らないことの左証といえよう。

 検証会議委員・検討会委員は、南洋庁編・発行の『各年版・南洋群島要覧』を見ずに、検証会議報告書を書いている。おそらく「第二次資料」の孫引きをしているから、ハンセン病収容所設置のことを間違って記述し、かつ、そこではどのような「隔離収容」と「ハンセン病患者やその家族」が受けた被害事実とその責任の内容の記述がなされていない。これに関して、「検証会議」に対して私は、本年3月の始め、検証会議に「ミクロネシア四島のハンセン病患者の被害実態」を述べるとともに、検証会議としても「追加報告書」でも書かないかと思い、3項目の「意見書」を提出した。しかし、返答なく検証会議は3月末日に解散した。(拙稿「日本の植民地支配下にあったミクロネシアのハンセン病隔離政策の被害と国家責任」41~55ページ、『飛礫』47号・2005年7月発行を参照)。

 では、人びとのあいだに普及している『ハンセン病問題に関する検証会議最終報告書(要約版)』には、ミクロネシア四島の「ハンセン病患者の処遇と政策」をどのように書いているか、省略しないで、つぎに示しておこう。

「日本は、1919(大正8)年以降、マリアナ・マーシャル・パラオ・カロリン諸島を国際連盟の委任統治として事実上、植民地支配し、1928(昭和3)年にヤルート島に、1929(昭和4)年にサイパン島に、1930(昭和5)年にヤップ島に、1931(昭和6)年にパラオ島に、南洋庁がそれぞれ小規模なハンセン病療養所を設置していたが、1941(昭和16)年の対米英開戦以降、太平洋地域の島嶼の占領を拡大した」(「要約版」91ページ)、と書かれているだけである。

 このミクロネシア四島の設置年からして間違っている。歴史資料としては、当時発刊された南洋庁編・発行の『各年版・南洋群島要覧』が基本的資料(第1次資料)といえる。それには各年版の『南洋群島要覧』とも、つぎのように書かれている。(『同・要覧』は、いずれも、国立国会図書館で閲覧できる。)

「四 癩療養所 癩は群島各地に之を見る、未だ其数明かならざるも、由来島民は其の伝染性を信ぜず、従つて適当の方策を講ずるの要ありと認め、大正十五年(1926年=滝尾、以下同じ)「サイパン」島に昭和二年(1927年)「ヤルート」島に昭和六年(1931年)「パラオ」島に、昭和七年(1932年)「ヤップ」島に各療養所を設け患者を収容隔離することゝせり。而して之が療養は恩賜財団慈恵会其の任に当たりつゝあり。」(『昭和八年版・南洋群島要覧』南洋庁、142ページ)。

(2)「小規模なハンセン病療養所」というだけで、そこに何人のハンセン病患者が収容され、また、その被害も責任も書かれていない。設置年の違いは、南洋庁編集・発行『各年版・南洋群島要覧』という基本(第一次)資料を見ずに、第二次資料=それも「出典」を明らかにしない参考書類からの引用で安易に書いたものであろう。

 埼玉大学教授の清水寛氏「植民地台湾におけるハンセン病政策とその実態」(『植民地社会事業関係資料集・台湾編』近現代資料刊行会・2001年6月発行)の232~233ページの「表14 日本とその旧植民地・占領地におけるハンセン病政策の沿革」が、南洋群島を「占領地」としてあげて、「1928(昭和3)年にヤルート島に、1929(昭和4)年にサイパン島に、1930(昭和5)年にヤップ島に、1931(昭和6)年にパラオ島に、南洋庁がハンセン病療養所を設置」といった「年表」の記述をしている。そのことから、「検証会議最終報告書(要約版)」は、清水寛氏とまったく同じ誤記を書いている。また、『検証会議最終報告書』の「第2 台湾」を記述した「一、はじめに」とする冒頭の部分の719ページで、「‥‥以下、こうした清水の研究を基本に、台湾におけるハンセン病政策について検証を進めたい」と書いている。

 だから、『検証会議最終報告書』が、この清水寛氏の「年表」に依ったか、あるいは、同じ「出典」の明らかにしていない「第二次資料」の他の資料に基づいて書いたのかは不明であるが、少なくとも、南洋庁編・発行『各年版・南洋群島要覧』も、「昭和16(1941)年3月3・4日、官公立癩療養所長会議」の諸資料(『藤野豊編・解説・〈編集復刻版〉・近現代ハンセン病問題資料集成<戦前編> 第7巻』不二出版、2002年12月発行の182ページ)も見ないままで、『検証会議最終報告書』は、この箇所についていうならば、書いたものと思われる。

 清水寛氏に「年表」の出典を聞き合わせしたところ、『南洋庁』による『癩療養所』の『設立』については、厚生省医務局『国立療養所(らい編)』一九七五年の『らい百年年表』から転載した、とのことであった。

 現在、『藤野豊編・解説・<編集復刻版>・近現代ハンセン病問題資料集成<戦前編>』不二出版の「補巻」として「台湾編」の解説は、滝尾が指摘した誤記のまま、最終校正を出しているということだった。再度、同じ「誤記」を出版させてはならないと考えて、即刻、11月26日(土曜日)ではあったが、不二出版の編集部に電話とFAXを入れて、「誤記」の訂正を伝えておいた。

 来年の初頭に通常国会が開かれて、ハンセン病患者の『補償範囲』を「植民地」だけにするか、「占領地」も含めるかが、審議されるという情況を考えると、この「ミクロネシア四島のハンセン病患者の被害者」を未調査として政府は「補償」を先送りしようというだけに、『飛礫』47号の滝尾の「ミクロネシア」の被害実態を書いた「論考」をすでに知っているはずの関係者は、この「補巻」として「台湾編」の解説の誤った記述の訂正を不二出版編集部に提議しなかったのはなぜなのだろうか。

 これらの『検証会議最終報告書』の問題点は、本年11月17日付け『朝日新聞』社説の記述の問題点のところで、後述する。

(3)つぎに『検証会議最終報告書』の問題点である「3.満州同康院の開設」に関する項の記述について述べてみたい。『検証会議最終報告書(要約版』89ページには、つぎのような記述がある。

「‥‥同康院は、同年(=1940年)5月に『慈光』という冊子を発行している。現在、同康院について残された資料は、この『慈光』のみである」という。

 これはおそらく、間違いであると思う。私は『植民地下 朝鮮におけるハンセン病資料集成』全8巻を不二出版を発刊した経験から、『官報』、当時発行された『新聞』などを丹念に調べれば、必ず「同康院」に関する資料があると確信している。「ない」のではなくて、「検証会議」委員や「検討会」委員が知らないだけではないか。たとえば、満州国史編纂刊行会編纂『満州国史』各論、満蒙同砲援護会、1971年1月発行には、同康院について、つぎのように書いている。

 「慢性伝染病とその予防」の「 3) 癩――患者数は少なかったが、蔓延のおそれがあったので、一九三九年二月二三日癩療養所官制を公布、次いで国立癩療養所同康院を鉄嶺県(=「奉天省」)に設けて、患者の収容治療に努めた」(1199ページ)。

 したがって、『官報』を含めて行政資料を徹底的に調べ、同時に当時の「新聞・雑誌」類、さらには「医学雑誌」の論文を丹念に調べ上げることが必要であう。「検証会議」はこうした基礎作業をしているのだろうか。疑問である。
「検証会議」は、「現在、同康院について残された資料は、この『慈光』のみである」と書いている。「ない」のではなく、「調査・研究していないから『検証会議』は知らない」だけで、「‥‥現在、同康院について残された資料は、この『慈光』のみである」と書いているのは、間違であろう。

【その2】 検証会議の最終報告書を根拠に、被害が「明らかである」・「明らかでない」で、明らかになっていることを理由に補償を優先せよということは誤りである。「明らかになっていない」ことの責任追及をしなくて、「明らかになっている」ものを優先させよという主張は間違ってはいないか。

 リベルさんのホーム・ページ「ハンセン病のリンク集」にはつぎのような記述がある。
「韓台先行の「2段階方式」で補償 厚労省方針! 『毎日新聞』(11.17)
#一瞬、何のことだか分かりませんでした!勝手に4地域を増やして、イヤ待てよと反省して・・・こういう事に、無駄に時間を費やして・・・何をやっているのだか・・・まったくもう・・・何が「2段階方式」だっ!」という「リベルさん」の主張である。こういう意見・感想を持たれている方は、現在、一般的になっているだけに、危険な意見・認識だといえよう。

 そのことを報じた『毎日新聞』の記事というのは、「国が戦前の統治下で開設した海外のハンセン病療養所の入所者に補償を検討している問題で、厚生労働省は、対象となっている韓国など6国・地域のうち、韓国と台湾を先行させる「2段階方式」で補償する方針を固めた。残りのパラオ共和国とサイパン(米国自治領)、ヤップ(ミクロネシア連邦)、ヤルート(マーシャル諸島共和国)と比べて実情を把握しているうえ、韓国と台湾の療養所を巡る訴訟で81歳を超える原告の高齢化が問題になった点も考慮した。しかし、年内の結論は微妙で、越年する可能性が強い。‥‥」という記事内容に対してのもつ考えである。

 「パラオ・サイパン・ヤップ・ヤルートに、1922年に日本政府によってつくられた「南洋庁」によって、日本植民地下のこれら4箇所の島々にハンセン病収容所がつくられたこと。その収容所に強制収容されたハンセン病患者は「‥‥由来島民は其の伝染性を信じないので当局は常に適当なる方策を講じ隔離治療を行う要あるを痛感し大正一五年(=1926年)サイパン島に癩療養所を設け、之に患者を収容して‥‥糧食等は夫々親族縁故者の負担とした‥‥」(『南洋群島要覧=南洋庁』より)。

 また、パラオの元挺身隊員であったヤノ・マリウスさんが1991年に日本のアジア・太平洋地域戦後補償国際フォーラムで証言されたなかで「(パラオでは)ハンセン病患者四名は銃殺、あるいは剣で刺し殺されました」と発言されています(国際フォーラム実行委員会編『戦後補償を考える』29ページ、東方出版)。このようなことが、ミクロネシア四島の各地であったのではないでしょうか。(『飛礫』47号・2005年7月発行の滝尾英二著「ミクロネシアのハンセン病政策」を参照)。

 11月17日付け『朝日新聞』社説「ハンセン病補償・内と外との隔てなく」の記述になにかすっきりしないものを感じるのはなぜでしょうか。同「社説」は、つぎのように書いている

 ――「‥‥ハンセン病問題検証会議が設けられた。検証会議の報告書は、1941年に厚生省が開いた国立療養所長会議に、朝鮮半島と台湾の療養所の日本人所長も出席していたことを指摘し、両療養所は「日本国内の国立療養所と同等に扱われていた」と認定し。‥‥救済策づくりには、補償額のほかにも課題がある。韓国や台湾だけでなく、戦前に日本の統治下にあった太平洋の島などの療養所も対象にするかどうかだ。事情が同じならば、対象にすべきだが、そのための実態調査が終わるのを待つべきではない」云々。

 この「昭和十六年(=1941年)七月十五・六日の国立癩療養所所長会議出席者」の読みかたが間違っているといわざるを得ない。そして、「朝鮮半島と台湾の療養所の日本人所長も出席していたことを指摘し、両療養所は「日本国内の国立療養所と同等に扱われていた」と認定した」ということには、決してならないのである。

 それは、『藤野豊編・解説(編集復刻版)・近現代ハンセン病問題資料集成<戦前編>第7巻』不二出版、2002年12月発行の197~202ページ、資料126〈国立癩療養所所長会議〉をみても明白である。その出席者名簿をみれば、それが歴然とする。「長島愛生園所長・光田健輔、栗生楽泉園所長・古見嘉一、東北新生園所長・鈴木立春、国頭愛楽園長・塩谷英之助、宮古南静園所長・多田景義、多磨全生園所長・林芳信、松丘保養園所長・中条資俊、邑久光明園所長・新宮良一、大島青松園所長・野島泰治、菊池恵楓園所長・宮崎松記」と書かれている。

 しかし、これと異なり、「小鹿島更生園(朝鮮総督府)園長・周防正季、楽生院長(台湾総督府)院長・上川豊」は、正式にこの会に出席した国立癩療養所長としてはなく、「岡山県 属・赤松仁、群馬県衛生課長・杉野為治、宮崎県衛生課長・大島金光、同県巡査部長・菅野幸策、東京都衛生課長・草間弘司、同府衛生主事・潮口謹二、青森県警部・斉藤貞吉、熊本県警部・大橋唯喜」らと共に出席者名簿に書かれてはいるが、「国立癩療養所長出席者名簿」からは別記されているのである。

 その議題も「植民地(当時は「外地」といっていた)」もない。1941年7月当時の厚生省の「国立癩療養所」の認識は、このようなものであり、同年(1941年3月3~4両日に、厚生省が召集した「官公立癩療養所所長会議」とは、異なった認識をしているといわざるを得ない。むしろ、1941年7月の時点で、かつては「官公立」として、小鹿島更生園、台湾楽生院は、「国内(「内地」といわれていた)の道府県聯合立療養所」が国立療養所となるなかで、小鹿島更生園も台湾楽生院も「国立療養所」がら外されたのではないか、と思われる。したがって、「検証会議報告文」の資料の扱い方には、同意できない。

 つまり、「検証会議」の報告書は、1941年7月に厚生省が開いた国立療養所長会議に、朝鮮半島と台湾の療養所の日本人所長も出席していたことを指摘し、だから、両療養所は「日本国内の国立療養所と同等に扱われていいたと認定した」という。出席したことは事実であるが、その出席した事実だけで、その内容を検討せずに、「1941年に厚生省が開いた国立療養所長会議に、朝鮮半島と台湾の療養所の日本人所長も出席していた」ことを指摘し、両療養所は「日本国内の国立療養所と同等に扱われていた」と認定した「検証会議の報告書」は、事実誤認をしている。

 たしかに、『検証会議最終報告書』の「台湾」の節の「五 まとめ」として、「なお、日本国内の公立療養所がすべて国立に移管された後の1941(昭和16)年7月15・16日、厚生省が国立癩療養所所長会議を開催するが、これには小鹿島更生園長周防正季、楽泉院(ママ、正しくは「楽生院」である=滝尾)長上川豊も出席している(「国立癩療養所所長会議」、『近現代日本ハンセン病問題資料集成・戦前編』七巻、2002年)。すなわち、小鹿島更生園、楽泉院(ママ)も日本国内の国立療養所と同等に扱われている。日本国内と植民地における政策の一貫性をあらためて指摘しておく」(724ページ)と述べられている。

 しかし、1936年10月1~2日の「官公立癩療養所所長会議」の出席者である南洋(ミクロネシア)の療養所長はこの「国立癩療養所所長会議」には出席していない。検証会議は、これをどう説明しようとするのかは、明らかにしていない。「国立癩療養所所長会議」への出席の有無ではなく、その「国立癩療養所所長会議」でどのような扱いを受け、また位置ついていたかが、問われなければならなかったかが、問題なのである。

 その「検証会議委員」には、藤森研氏(朝日新聞編集委員)が選ばれている。また、『藤野豊編・解説(編集復刻版)・近現代ハンセン病問題資料集成<戦前編> 第7巻』不二出版、2002年12月発行の「「昭和十六年(=1941年)七月十五・六日の国立癩療養所所長会議出席者」をみることもできたはずである。「検証会議の報告書」の記述を鵜呑みにして、原典を調べることなく、上記のような「社説」を書くことは、如何なものであろうか。
 これは、『朝日新聞』編集委員の藤森氏に尋ねたい。
 2005年3月13日に『朝日新聞』朝刊に掲載された姜尚中東大教授(政治思想)の「時流自論」=「わしゃ、生きるけんね」の原典を見ずに書いた問題と同根の『朝日新聞』の体質・態勢がこのような問題を惹き起こしてきた。

 姜尚中(カン・サンジュン)氏は、『朝日新聞』の「時流自論」のなかで、つぎのように書き、それが、同紙に掲載された。「‥‥先の最終報告書は『大日本帝国』の版図だった植民地朝鮮に触れていないが、ハンセン病をめぐる国家政策の誤りは、日本本土に限定されるわけではないのだ」と。この「事実にもとる内容」は、今回の11月17日の『朝日新聞』社説の記述にも、いえるのではないかと思う。「姜尚中東大教授」というカリスマ的権威が、『検証会議最終報告書』というこれまたカリスマ的権威に寄りかかり、それを疑おうとしない報道機関たる『朝日新聞』の在りようを垣間見る。違いますか。

      

| コメント (0) | トラックバック (0)

2005年11月27日 (日)

小鹿島病院からのメールです【スタッフ】

国立小鹿島病院の職員の方から次のようなメールをいただきました。紹介します。(日本語訳は 天飛龍 氏)

*******************************************

안녕하십니까! 국립소록도병원 오성남입니다.

타키오 선생님의 편지 잘 받았습니다.

소장님께서 많은 수고를 하셨습니다.

타키오 선생님께서 연좌시위를 계획하고 계시다는 내용인데.. 연로하신 분이 혹독한 추위에 건강이 상할까 너무 염려됩니다.

편지 내용을 우리 어르신들뿐 아니라 병원과 변호인단에게도 알려 선생님의 고마운 마음을 전하도록 하겠으며 우리의 뜻을 모아 선생님께 답장을 드리도록 하겠습니다.

소장님!! 항상 건강하시길 바랍니다. 감사합니다.

--------------------------------------------

こんばんは!国立小鹿島病院の オ ソンナムです。

滝尾先生が送ってくださったメール、拝見致しました。

天飛龍所長も翻訳、お疲れ様でした。

滝尾先生が座り込みを計画なさっているとのことですが、お年をめされた先生がしばれる寒さのために健康が害されないか非常に気掛かりですね。

滝尾先生が送ってくださったメールの内容を、ハラボジ、ハルモニや小鹿島病院と弁護団にも伝え、滝尾先生のお気遣いが伝わるよう致します。
そして、私どものこころをひとつにしてお返事を差し上げるように致します。

所長もいつもお元気で。ありがとうございます。

******************************************

| コメント (0) | トラックバック (0)

2005年11月25日 (金)

ソロクトのハラポジ・ハルモニ、自治会の方々に送った「謝罪と恨霊への祈り」50時間の座り込みについてのメッセージ/「사과와 원령에 바칠 기도」 50시간의 연좌시위

「ソロクトのハラボジ・ハルモニ」が、「ソロクト訴訟の敗訴」に落胆せず、元気で、長生きして下さい。日本の皆さんも、生きている内に、名誉回復を日本政府・国会に要請し、それを実現させ、被害者の方がたが、怨嗟の気持ちを日成らずして、実現させる取り組みをしていることを知らせたいと思い、急きょ、テジュン(大田)在住の天飛龍氏に依頼し、「謝罪と恨霊への祈り」50時間の座り込みについての一文を翻訳していただきました。以下に掲示します。(訳者の天飛龍氏とも一緒に座り込みができそうです。)

*****************************************************
   
「사과와 원령에 바칠 기도」 50시간의 연좌시위
 

저 타키오는 11/18~19에 동경 국회의원 회관을 방문하고 『진정서』를 건네고, 자민당 본부로는 「총재ㆍ코이즈미 준이치로우」앞으로 우송했습니다.

내년(‘06년) 1월 하순~ 2월 초순에 걸쳐 「소록도 갱생원・대만 낙생원 한센병 피해자」에 대한 일본정부의【구제책】내지는 【『보상법』재검토 후생노동위원회의 심의】가 통상국회에서  열리는 시기에,중의원<하원> 제 2의원회관 앞 노상에서 「사과와 원령에 바칠기도」50시간의 연좌시위 집회를 가질 생각입니다.

집회를 가질 목적은 첫째로, 「쿠마모토 지방법원 판결」이 있고 정부가 「항소단념」을 표명 한 2001년 5월부터 4년반, 천황제도하 「대일본제국」이 저지른 「구 식민지, 구 점령지역 에서의 한센병 정책 」의 피해자에 대해 아직까지도 국가적 사과나 배상=보상도 이루어져 있지는 않습니다.

아시아・태평양 전쟁 후, 올해로 60년이 지났습니다. 일본국의 주권자인 저희에게도, 일본 정부나 국회로 하여금 그를 허용하고 있는 책임이 있다고 생각합니다. 어째서 오늘까지 그 문제를 미해결로 남겨놓았을까? 저에 대해 말하자면, 연구자로서 국가권력자나 혹은 민중에게 「대일본제국」이 저지른 「구 식민지, 구 점령지역에서의 한센병 정책 」의 피해 사실과 그 책임 소재를 분명히 밝혀, 널리 그 사실을 알리는 작업을 소홀히 한 책임이 있습니다.

『수치를 알아라!』라는 말과 절규는 정부에게 하는 말일뿐만 아니라, 자기자신의
「부작위」였다고는 해도, 스스로에게 묻는 말이기도 했을 것입니다.

저는, 11월13~ 14일에 걸쳐, 소록도를 방문에 김명호 자치회장님을 비롯한 자치회원, 많은 원고 나 피해자의 「목소리」를 듣고 왔습니다. 또 11월 12일에는 원고인 할아버지께서 돌아가시고 말았습니다. 보상신청자 가운데, 이 할아버지께서 돌아가심으로써, 23명의 원고분들께서 원한을 품은 채 이 세상을 떠나셨습니다. 생존 중의 명예회복을 절망하시면서 서거하셨습니다.
11월 13일에도, 원고는 아니시지만, 한 할아버님께서 돌아가셨고, 그 장례식에 저도 참석했습니다.

원고 분들과 만나 뵙고, 하나같이 「소록도 소송에서 패소했다. 이건 왜 그런가? 90%이상은 승소할 것이라는 말을 들었다. 나도 그렇게 생각하고 있었다. 일본 국내에서는 원고단이 승소하고 있는데, 그게 소록도에서는 패소했다. 그 까닭을 알 수가 없다.」「우리는 천황폐하의 신민이라며 교육받았고, 또 그렇게 되라고 강요받았지만, 10월 25일의 재판에서는 우리는 패소했습니다. 보상금도 올해 내로는 지급되지는 않아요. 이는 도저히 납득할 수 없어요.」라고 「억울한 눈물」을 흘리고 계셨다. 나는 일본인의 한 사람으로서 오랫동안 「부작위」를 창피하게 여길 뿐이었습니다.

또, 소록도 소송에 처음부터 참여해 주시고, 또 2003년 8월 9일 오전 저희는 할아버지 두 분을 찾아뵈어, 「피해보상 소송의 원고가 되어주시지 않겠습니까?」라고 말해, 그 승낙을 받은 자의 한 사람으로서 그 할아버지께는 그저 사과를 드릴 뿐이었습니다.

지금 저로서 할 수 있는 일은 무엇인가? 직접적・간접적이라는 차이는 있어도, 소록도의 「납골당(만령당)」과 그 뒤에 있는 산소에는 개소된 1916년부터 2005년 10월 24일까지 소록도에서 돌아가시고, 「납골당」에 모셔진 분들은 모두 10,409위에 달하고 있습니다.
저는 그 앞에 절을 올리며 「한령」에 사과의 기도를 올릴 뿐이었습니다.

소록도를 떠날 때, 김명호<金明鎬> 자치회장님으로부터 각 정당 책임자나 행정담당자 앞으로 쓰신 『진정서』를 건네 주었으면 한다는 의뢰를 받았습니다.

한국에 거주하고 한국어에 능한 젊은 일본 분에게 『진정서』번역을 의뢰하고, 11월 17~18일에 각 정당 책임자를 찾아가, 『진정서』와 그 번역본을 건넬 수가 있었습니다. 그 때, 각 시민단체나 그 관계자들이 국회의원 회관 앞 노상에서 연좌시위를 하고 있었습니다.

제가 지금부터 할 수 있는 일은 국회의원회관 앞의 긴 벽에 소록도 갱생원에 격리 수용되어,  인간으로서 도저히 견딜 수 없는 고통을 비춰낸 사진 패널을 게시하고 , 그 앞에서 조용히 혼자서 앉아, 자신이 저지른 「부작위」던 「대일본제국」이 저지른 「구 식민지, 구 점령지역 에서의 한센병 정책」의 피해자에 대해 아직까지 국가적인 사과나 배상=보상도 이루어져 있지 않은 사실을, 살아 계시는 분들께는 「국가적 사과」와 그에 바탕을 둔 보상=배상, 또한 이미 세상을 떠나신 분들께는 「위령을 위한 기도」를 올리자고 생각했습니다.

일년 내에서 가장 추운 계절에 노상에서 낮뿐만 아니라 심야도 연좌시위를 할 겁니다. 제 1진은 3일 동안= 50시간 계속하고 싶다고 생각하고 있습니다.

 그에 대해 친구들에게 이야기했더니, 「타키오씨 혼자에게 시킬 수는 없다. 나도 함께 하자!」  라는 분이 관동지방에서도, 관서나 큐우슈우지방에서도 계셨습니다. 물론 이 연좌시위는 중・참 양 의원의 국회의원 여러분이나 그들의 비서의 협조 없이는 성립되지 않습니다.

사상・신조를 뛰어넘어, 또한 지금까지의 경위나 의견의 상위를 뛰어넘어, 연좌시위에 참여해 주십시오. 저는 50신간 내내 시위를 할 겁니다만, 건강상의 이유, 일이나 가정상의 사정도 있으실 터. 가령 20분이라도 30분이라도 괜찮습니다. 또 시민단체에 「동원요청・의뢰」만큼은 하지 마셨으면 합니다. 깃발도 플래카드도 필요 없습니다.

슬로건은 「평등의 원칙이란 입장에서, 보상대상, 보상금액」을 요청한다는 1가지 포인트로 나가려고 생각합니다. 특별한 경우를 제외하고 마이크도 사용하지 않겠습니다. 남에게 하는 게 아니라, 자기자신에게 「대일본제국」이 저지른 「구 식민지, 구 점령지역에서의 한센병 정책」 의 피해자들을 사과도 보상(=배상)도 없이, 방치해 버린 자기책임을 묻고, 그 죄과를 묻는 「50시간의 연좌시위」의 시간으로 하고 싶습니다.

  담요나 식량, 뜨거운 물이나 차, 혹은 화장실 사용, 의료태세 등은 일단 실행위원을 편성해서 준비합니다만, 역시 부족한 부분은 어찌해도 있을 겁니다. 옷을 따뜻하게 입으시고 (특히 하체  난방), 보온병 따위는 지참해 주십시오. 근처에는 24시간 영업하는 편의점도 있다고 들었습니다.
각자 자기부담으로 오십시오. 기일이나 상세 일정은 훗날 알려드릴 생각입니다만, 첫 날은 국회의원들이 의원회관에 오는 시간인 오전 9시부터 시작하고, 3일째인 오전 11시까지 계속키로 하고, 뒷정리를 한 다음 점심식사를 하면서 총괄회의를 갖고, 오후 2시 전후에 관계기관 앞으로 쓴 「요망서」를 건넬까 합니다.

「조직적 동원」은 하지 않겠습니다. 참가자도 지금 현재 10명 안팎입니다. 총수는 30명 정도 가 될 것이라 생각됩니다. 저는 그것으로도 좋다. 머릿수의 문제가 아니라고 생각합니다.
하모니카나 기타 등 악기 연주를 할 수 있는 분은 마이크 없이 노상에서 연주・반주하게 됩니다만, 가져오셨으면 합니다. 그리고 노트북 등도 필요하게 될 것이라고 생각됩니다.

   
  
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

滝尾のもとに寄せられた二つのメール【滝尾英二】より

 【その1】福留範昭先生から寄せられた韓国の新聞「ハンギョレ」の記事です。この「映画の紹介記事」は、いま、天皇制下「日本帝国」による戦争被害が、植民地・占領地のハンセン病患者の被害者に対しての「平等の原則」の立場から、日本政府と国会(国会議員)に対してそれを要求する我々の闘いが、どういう「歴史認識」にたって行なわれなければならないか、を示唆してくれています。

 天皇の「赤子」として、侵略戦争に駆り立てられ、「誰もかれもちりあくたのように命を捨てるように」して亡くなった怨霊は、植民地でも、日本国内でも同様であったっという「認識」です。私の肉親・知人も多く原爆投下の被害者として、死んでゆきました。私の父親も、太平洋上で戦死しております。しかし、父はミクロネシアの島民に対しては、まぎれもなく「侵略者」であったのです。

『毎日新聞』が11月17日に報じたパラオ、サイパン、ヤップ、ヤルートの「日本帝国」=南洋庁が設置し、ハンセン病患者を隔離収容し、虐待の限りを尽くした被害実態が、未だにハンセン病問題関係者の間でも、もちろん、政府も知られていないのです。『ハンセン病に関する検証会議』も、この被害実態を無視しており、『最終報告書』には被害実態を述べないばかりか、設立年すら誤って書いています。(滝尾英二著「日本の植民地支配下にあったミクロネシアのハンセン病隔離政策の被害と国家責任」『飛礫』47号=2005年7月発刊、参照)。人びとのミクロネシア4島のハンセン病患者の被害実態への「認識」は、まったくないと言わざるを得ません。

 否、太平洋地域の島民への戦争責任を感じていないのだと思います。それが、この初夏の天皇・皇后のサイパン島の「慰霊」訪問を許してしまったのだと思います。日本政府がしなければならなかったのは、「慰霊」の前に、植民地支配に対する島民への「謝罪」でなければならかったはずです。そのことを報じた新聞・放送が皆無だったと思います。それが、なんと『検証会議最終報告者書』を「賛美して」やまない現在の「歴史認識」なのだということを、銘記すべきです。

 福留範昭先生から寄せられたメールを見て、感じた私の思いです。
==================================

 【その2】は、「タンクン」さんから送信されて来た「メール」です。

「滝尾先生へ。
 今後の方針について、具体的に提起されているのでよいと思います。
 国会議員がホームページを見ていることを前提とした文章にもなっていて、メッセージが伝わるのではないでしょうか。
 自国民中心主義を打破するという基本にして、所属政党を問わずに取り組みを行うことは必要です。できることを、各々が誠実にできるだけするかな。」

 小鹿島病院自治会の金明鎬(キム・ヨンホ)会長から私が預かった『陳情書』は、自民党本部宛てに「総裁・小泉純一郎」に郵送しておきました。しかし、「ソロクト訴訟の敗訴判決」を受けて、「ソロクト弁護団」が小鹿島にいらっしゃる多くの原告の方がた=「90パーセントは、原告勝訴です」と言ってきた上、原告の更なる死亡されている小鹿島の現状からして先ず、「弁護団」がしなければならないことは、小鹿島を訪問することではないでしょうか。

  「‥‥残念ながら裁判には負けることもあります。そのときには、またその時点で仕切り直しをするしかありません。それはとても困難な出発になるでしょう。」と10月16日の「HITASURA~宮里新一のページ」で「小鹿島~補償請求弁護団」代表兼事務局長は、書いている。しかし、弁護団がどのような「仕切り直し」をするのか、私にはそれが見えてこない。東京高裁に控訴している「弁護団」は、また長期になる高裁判決まで待つというのだろうか。あるいは、「国との和解」をしようというのだろうか。

 あくまで、『補償法』の見直しをせず、「厚生労働大臣告示」に小鹿島更生園と台湾楽生院の項を書けという闘いを続けるのだろうか。あるいは、政府が出している通常国会に『補償法』の見直しなり、『救済策』というやり方に乗っていくのだろうか。

 小鹿島更生園~補償請求弁護団のホームページの「ダイアリー」には「12月17~19日、小鹿島訪問予定」と書かれてある。今後、どのような「仕切り直し」をするのか、まず聞かなければならないととは、訴訟を弁護団に依頼した小鹿島の原告の皆さんではないかと、私は思う。原告たちは一様に「なぜソロクト訴訟は敗訴したのか」と11月13~14日に滝尾が小鹿島を訪れたとき、聞いていた。相継ぐ原告の死亡。「もう時間との勝負」である。存命中の名誉回復なしに、怨嗟の気持ちを抱いたまま、この世を去っていく被害者たちに対して、弁護団の「仕切り直し」は、まず、小鹿島に行って裁判を依頼された原告のすべてを訪ねて決めることではないでしょうか。

 11月26日(土)15:30~17:30には、大分のコンバルホールで「ソロクト・楽生院」訴訟報告集会があるという。しかし、「12月17~19日、小鹿島訪問予定」ということです。日本在住者への報告集会に「徳田靖之弁護士」が報告されるのかどうか、集会の内容は分かりませんが、弁護団がまず報告しなければならないのは、「小鹿島原告敗訴」を受けてのソロクトの原告のすべての方がたへの報告ではないでしょうか。
 そのなかで、今後の「仕切り直し」の方途も決められるように考えます。違いますか。

 2005年11月25日(金) 06:00  人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二より

4) ************************ 以下、【福留先生からのメールです。】

 [ハンギョレ 2005-11-24 16:48]

 【これでも、靖国神社に頭を下げるべきか】

 最近相次いで開封されている「小さな映画」の中で、製作費が断然多い。「許さざれる者」の純製作費は2千万ウォン、「五つは多すぎる」が6千万ウォンなのに対し、この作品は2億5千万ウォンをかけた。

 その上、映画的装いというものがほとんどないドキュメンタリーだ。相変らず整理されずに反目する歴史問題を公論化することの厳しさというか。とにかく、製作費、言語問題、歴史認識の差などを乗り越えて、25日全国同時封切りまでいたった。

 毎年8月になると、東アジアを熱する靖国神社の本質を正面から扱った韓日合作ドキュメンタリー、「あんにょん、サヨナラ」だ。

 この映画、知性の力を信じるが、「感情への呼びかけ」という論理的誤謬にも適当に依存している。新旧間の争いを、「おまえは父母もないのか」で糊塗する誤謬のようなものだが、なぜだろうか。

 最初から、靖国神社が反理性的領域に基づいているからだ。明治時代に生まれ、天皇の軍隊の戦死者だけを祀り、「死んだら、靖国で会おう」と、意識化された軍国神社。実体がなく非理性的な名誉を通して、「太平洋戦争の精神的支柱」の位置を占めながら、誰もかれもちりあくたのように命を捨てるようにした軍事施設だからだ。

 ドキュメンタリーは、韓国語と日本語を縦横に編みこんで、平和の可能性を探る。

 日帝に強制徴集された父親が靖国神社に祀られていることに対し、合祀取下げ訴訟中である李熙子(イ・ヒジャ 62)氏と彼女を助ける日本人の公務員古川雅基(43)の穏やかなナレーションに従うと、太平洋戦争が残した痕跡にやがて出会う。

 今更ながら発見するのは、「戦争を体験した日本人の悲しみもやはり深い」という事実だ。それでも、天皇のためにいつでも総動員することができるということ、実はその精神を追慕させる所が靖国という論理は、共有するのが何故このように難しいのか。

 おそらく、「被害だけでなく、自身の加害性も共に語らねば、戦争の実体を知ることができない」ためだろう。これを拒否する日本の大多数に、それゆえ今一度感情に訴えるナレーションが続く。

 「虐殺自体がないとか、同じ問題で、どうして何度もに謝らなければならないかと尋ねる人たち、反日デモがその国の(偏向した)教育のせいだと主張する人たちは、ここに来てみるべきだ。」 南京大虐殺現場を見て、「ごめんね」を連発する古川の話だ。虐殺の主犯も、もちろん靖国に祀られている。

 加藤久美子(30)監督と共同演出した金兌益(キム・テイル 42)氏は、「両国の良心的な人たちの力になって、平和連帯を試みたかった」と製作の背景を説明した。

 「韓日共同上映会」も開催される。 (イム・インテク記者)

| コメント (0) | トラックバック (0)

2005年11月23日 (水)

「謝罪と恨霊への祈り」50時間の座り込み【滝尾】

 「謝罪と恨霊への祈り」50時間の座り込み、及び『飛礫』49号(2006年1月発行)の拙稿の予告
【このメッセージは「転送」可です。知人・友人・恋人などに転送して下さい。=滝尾】

                人権図書館・広島青丘文庫  滝 尾 英 二
                            (2005年11月23日、記す)

 来年(2006年)1月下旬~2月上旬に「小鹿島更生園・台湾楽生院ハンセン病被害者」に対する政府の【救済策】乃至【『補償法』見直し厚生労働委員会の審議】が通常国会で行なわれる時期に、衆議院第二議員会館前の路上で、「謝罪と恨霊への祈り」50時間の座り込みの集いを行ないます。

 目的は、第一に、「熊本地裁判決」があり政府が「控訴断念」を表明した2001年5月から4年半、天皇制下の「大日本帝国」が行なった「植民地、占領地域におけるハンセン病政策」の被害者に対して未だに、国家謝罪も賠償=補償もなされておりません。

 アジア・太平洋戦争後、今年で60年経っています。日本国の主権者である我々にも、政府や国会にそれを許している責任があると思います。なぜ、今日までそれを未解決にのこしたか。私のことでいうと、研究者として国家権力者や、あるいは、民衆に対して「大日本帝国」が行なった「植民地、占領地域におけるハンセン病政策」の被害の事実とその責任の所在を明らかにし、広くそのこことを知らせることを怠った責任があります。

 『恥を知れ!』の言葉・叫びは、政府にいうだけでなく、自分自身の「不作為」だとはいえ、自らに問う言葉でもあったはずです。

 私は、11月13~14の両日、小鹿島を訪問しキム・ホンホ自治会長をなど自治会員、多くの原告や、被害者の「声」を聞いてきました。また、11月12日には原告のハラボジが亡くなりました。補償申請者のうち、このハラボジの死去で23名の方がたが、怨嗟の気持ちを抱いたままこの世を去って彼岸に行ってしまわれました。生存中の名誉回復を切望されながら逝去されたのです。11月13日にも、非原告のハラボジでしたが、亡くなられ、その葬儀に私も参列しました。

 原告の方がたにお逢いして、一様に言われることは、「ソロクト訴訟で敗訴した。これは何故なんだ。90パーセント以上は勝訴すると言われていた。私もそう考えていた。日本国内では、原告が勝訴しているのに、それがソロクトでは敗訴した。理由が分からない。」「わたしたちは、天皇陛下の赤子だと教育され、そのようになれと強制された。だけど、10月25日の裁判では私たちは、敗訴しました。補償金も年内には支給されません。これはとうてい、納得いきません」と、「くやし涙」を流されていた。私は日本人のひとりとして、また長いこと「不作為」を恥じ入るばかりでした。

 また、ソロクト訴訟に最初からかかわり、かつ、2003年8月9日の午前、私たちは二人のハラボジを訪ねて、「被害補償の訴訟の原告になっていただけませんか」と言い、その了解を得た者のひとりとして、そのハラボジには、ただただお詫びするだけでした。

 いま、私として出来ることは何か。直接的・間接的という違いはあれ、小鹿島の「納骨堂(萬霊堂)」とその裏にある小墳墓には、開所された1916年から2005年10月14日までに、総計小鹿島で亡くなり「納骨堂」に納められた方は、10,409位にも及んでいます。私はその前に額ずきながら「恨霊」に謝罪の祈りをするだけでした。

 島を去る時、キム・ホンホ(金明鎬)自治会長から各政党責任者や行政担当者に宛てた『陳情書』を手渡してもらいたいという依頼を受けました。
 韓国在住の韓国語に堪能な若い日本の方に『陳情書』の翻訳を依頼し、11月17~18両日に各政党等の責任者を訪問し、『陳情書』とその翻訳文を手渡すことができました。そのとき、各団体やその関係者が国会議員会館前の路上で坐り込みをしていました。

 私が今からできることは、国会議員会館前の長い壁に、小鹿島更生園に隔離収容され、人間として到底耐えることのできない苦痛を与えた写真のパネルを掲示し、その前で、静かにひとりで坐り込みして、自分のおかした「不作為」であれ、「大日本帝国」が行なった「植民地、占領地域におけるハンセン病政策」の被害者に対して未だに、国家謝罪も賠償=補償もなされていないことを、生きている方がたに対しては「国家謝罪」とそれに基づく補償=賠償、また、すでに亡くなった方がたへは「慰霊の祈り」をしようと思いたちました。

 年中で一番、しばれる路上での昼間だけでなく深夜の坐り込みです。第1波の坐り込みは、3日間=50時間の坐り込みをしたいと思います。
 そのことを友人に話したら、「滝尾さんひとりに、坐り込みをさすわけにはいかん。私も一緒に坐り込みをしよう」という方が関東からも、関西や九州からもありました。もちろん、この坐り込みは衆参両院の国会議員やその秘書などの協力なしには出来ません。

 思想・信条を越え、またいままでの経緯や意見の食い違いを超えて、坐り込みに加わって下さい。私は50時間の全時間、坐り込みをしますが、健康上のこと、お仕事や家庭のご事情などもおありでしょうから、たとえ、20分でも30分でも結構です。また、団体に「動員要請・依頼」だけはしないで欲しいと思います。旗も幟も不要です。

 スローガンは、「平等の原則の立場で、補償対象、補償金額」を要請するという一点にしようと思います。特別の場合以外は、マイクも使用しません。他者に対してではなく、自己に対して「日本帝国」が行なった「植民地、占領地域におけるハンセン病政策」のハンセン病の被害者たちを謝罪も補償(=賠償)もなく、放置させてしまった自己責任を問い、その罪過を問う「50時間の坐り込み」のひと時としたいと思います。

 毛布や食糧、湯茶、あるいはトイレの使用、医療態勢などは、一応、実行委員をつくって用意しますが、やはり不備はどうしても起ります。厚着をして(特に下半身の暖房)、魔法瓶など持参して下さい。近くには24時間営業のコンビニもあると聞きます。各自、自己負担できて下さい。

 期日や詳細日程は、後日おしらせしますが、第1日目は、国会議員らが議員会館に来る時間の午前9時から始め、第3日目の午前11時までとし、後片付けをして昼食をしながら、総括会議を持ち、午後2時前後に関係機関への「要望書」を手渡そうと思います。

 「組織的動員」はしません。参加者も今のところ10名前後です。坐り込みの総数は、30名程度かと思います。私はそれでよい、頭数の問題ではないと思っています。ハーモニカやギターなどが出来る方はマイクなしの路上での演奏・伴奏となりますが、持参していただけばと思います。それに、ノートパソコンなども、必要となると思います。

 つぎに、『飛礫』編集者とのインタビューの内容の概要です。「ソロクト訴訟はなぜ敗訴したか。また、今後の闘いの方向」(仮題)の簡単な紹介をします。

| コメント (0) | トラックバック (0)

韓国からのニュース【福留範昭先生から】

福留先生から、韓国のハンセン病問題=とりわけ、小鹿島のハンセン病問題に関する重要な韓国からのニュースが、滝尾宛てにメールで送信されてきました。

 1) 強制動員被害申告 12月1日から受付け (聯合ニュース)
 2)  日本政府、小鹿島のハンセン者の補償手続きに着手 (聯合ニュース)
 3) 「小鹿島の日本人殺害も独立運動と認めろ」 (韓国日報)

1) ****************************
 [聯合ニュース 2005/11/20 09:00]

 【強制動員被害申告 12月1日から受付け】

 (ソウル=聯合ニュース) キム・ジェホン記者= 日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会は、20日、日帝強占期に強制動員で犠牲になった被害者たちに対する第2次真相調査申請と被害申告を、12月1日から来年6月30日までの7カ月間受付けると発表した。

 日帝強占期である満州事変(1931年9月18日)から太平洋戦争に至る時期に、日帝によって国内外で強制動員され、軍人、軍属、労務者、軍慰安婦などの生活を強要された人やその親族関係にある人は、誰でも被害の申告ができる。

 また、強制動員関連の被害の事実や事件を知っている人も、誰でも真相調査の申請ができる。

 申告書の受付は、強制動員被害真相糾明委の民願室や市道の実務委員会または市郡区の民願室を訪門するか、郵便を通じてでき、海外同胞は在外公館でなすことができる。

 申込書は、強制動員被害真相糾明委や行政自治部、各市・道のホームページでのダウンロードを利用して受けとれる。
 申告する場合は、申告理由を疎明できる証明資料を貼付し、関連資料を添付できない場合には、その事実を知っている人の隣友保証書を付ければよい。

〈森川静子訳〉

2) ****************************
 [聯合ニュース 2005/11/21 10:30]

 【日本政府、小鹿島のハンセン者の補償手続きに着手。韓国政府に小鹿島のハンセン者の収容記録を要請】

 (ソウル=聯合ニュース) チョ・ジュンニョン記者= 日本政府が日帝植民地時代に小鹿島(ソロクト)の療養施設に強制的に収容されたハンセン者に対する補償のための準備手続きに着手したが、21日に確認された。
 外交通商部によれば、日本の厚生労働省健康局疾病対策課は、先週、駐韓日本大使館を通じて、国立小鹿島病院(旧少鹿島更生園)に、1945年の解放前に入所したハンセン病患者の入所履歴を確認する資料があるか問い合わせをし、あるなら詳細な内容を提供してくれと要請してきた。

 日本の厚生労働省が要求した資料には、療養所の診療録、入所者台帳または名簿、その他の解放前の入所者の入所内訳を確認できる各種書類などが含まれている。

 これにともない、外交部は、最近保健福祉部にこれらの資料の確認及び提供を要請した。

 外交部関係者は、「日本政府が、韓国のハンセン者の被害の実態を把握しようとしているのは、韓国と台湾のハンセン者の被害に対して適切な措置を取ることにしたことにともなう作業と見られる」とし、「現在保健福祉部で調査を進めている」と明らかにした。

 日本の東京地方裁判所民事3部は、今年10月25日小鹿島更生院に強制的に収容された韓国ハンセン者117人が、日本政府を相手に、補償を拒否した行政決定を取り消すよう提起した訴訟で、原告側の請求を棄却した。

 しかし、日本政府は、同じ裁判所のほかの法廷が、台湾のハンセン者の収容施設である楽生院に収容された台湾のハンセン者27人の補償請求を受け入れると、自国のハンセン者を補償したハンセン病補償法をに根拠に、韓国と台湾のハンセン者も救済する方案を検討してきた。

 日本政府は、2001年に熊本地方裁判所がらい病予防法(1996年廃止)による強制隔離規定は違憲だと判決すると、その年制定されたハンセン氏病補償法を根拠に、収容期間などを勘案し、自国のハンセン者に1人当たり800万~1,400万円を補償した。

〈森川静子訳〉

3) ***************************
[韓国日報 2005-11-20 18:52:34]

 【「小鹿島の日本人殺害も独立運動と認めろ」】

 ハンセン者人権団体のハンビット福祉会とソウル大社会学科チョン・グンシク教授らは、1942年6月小鹿島(ソロクド)の更生院で日本人院長を殺害した疑惑で逮捕され、翌年死刑になったハンセンの李春相(イ・チュンサン 当時27)氏を独立有功者と認定してくれという申込書を国家報勲処に提出したと20日明らかにした。

 チョン教授は「単純殺人事件とみなされて忘れられたこの事件は、朝鮮人ハンセン患者を蔑視し、強制労役に動員するなどの暴政を行った日帝に抵抗した民族運動」だと主張した。

 報勲処関係者は、「光復60周年を迎え、有功者独立申請が多い上に、李氏の場合独立運動かどうかに対して論議があり、判断を来年に先送りした」と明らかにした。

〈森川静子訳〉

  

| コメント (0) | トラックバック (0)

2005年11月19日 (土)

「東京訪問日記」のメッセージを書きながら【滝尾】

 11月17~18日の東京訪問の報告文です。
 小鹿島の現地からの報告を国会・行政関係者にしてきました。各党の責任者や行政担当者にしてきました。その経緯をご報告いたします。

 11月17の早朝、午前5時20分に自宅を発ち、JR芸備線の始発に乗り、広島駅から新幹線「のぞみ」で、東京へ行きました。いつもは、「ジパング老人3割引」を利用するので、新幹線は「ひかり」か「こだま」しか乗りませんが、今回は生れてはじめて、新幹線「のぞみ」を利用しました。これだと午前中にでも、国会議員会館で国会議員に会えるからです。金子哲夫前衆議院議員に頼んで、社民党の福島みずほ党首や阿部知子社民党政調会長にお逢いできるよう、事前の連絡はしていましたし、日本共産党には、吉川春子参議院議員の秘書の相澤孝子さんとの連絡はしておきました。

 しかし、「ハンセン病問題の最終解決を求める議員懇談会」・江田五月会長にも、民主党、公明党、自民党、厚生労働大臣、法務大臣にも「アポイント」をとってはいませんでした。11月13~14の両日に小鹿島を訪問し、帰るとき渡されたのが金明鎬自治会長から『陳情書』でした。この『陳情書』は韓国語で書かれているかなり長文の内容の深いものです。早速、大田(テジュン)の若い私の友人に依頼して日本語に翻訳していただき、広島の私の自宅まで、メールで送信してもらい、東京の各政党、行政担当大臣へ手渡しすることが可能かどうか、「度胸3分で、運7分」の行為でした。ところが、「神様」が見方してくれたのか、つぎに書くように、政党責任者にこの『陳述書』は、私の手でお渡しすることができたのです。さらに、「ハンセン病問題の最終解決を求める議員懇談会」・江田五月会長のホームページには、短いながら滝尾のソロクト要請の記事が出ています。その11月18日の「江田五月議懇会長」の【活動日誌】には「滝尾英二さんが韓国の国立小鹿島(ソロクト)病院の院生自治会会長の金明鎬さんの要請書を持って来られ、現地から帰ったばかりの生々しい報告を聞きました。最近もまた2人の元患者が高齢で亡くなったそうです。」とかかれ、下線をクリックすれば、『滝尾英二的こころ』が見られるようになっています。

 社民党党首の福島みずほ参議院議員会館の部屋では、金子哲夫前衆議院議員から連絡があってからか、秘書たちが『滝尾英二的こころ』を見ている最中の訪問でした。同じく社民党の阿部知子衆議院議員のおられる第一衆議院議員会館でも、『滝尾英二的こころ』のアドレスをお教えしたら、秘書の方がパソコンを開いてみて、「この小鹿島の写真アルバムは素敵ですね」とかお褒めをいただき、『滝尾英二的こころ』のメッセージも、毎日開いてみるわよ」とのありがたいお言葉を頂戴した。日本共産党も『滝尾英二的こころ』を読んでいるという。
11月18日の夜遅く帰宅してパソコンを開いてみると『滝尾英二こころ』が、『恨生』にリンクされて「広島青丘文庫主催する滝尾さんの小鹿島への熱い思いをニュースレターの形で伝えてくれます」と、山口進一郎さんのHPに出ていました。

『ハンセン病のリンク集』にも、※ソロクトからの訃報!(11.17)   #また、原告の方がお亡くなりになっています!/  滝井氏Blog / との記事がでていました。なんだかハンセン病問題に認識自体「地殻変動」がおき始めたかと、思っています。  滝尾英二(11月19日(土)22:23)

   

tokyo01 「ハンセン病問題の最終解決を求める議員懇談会」・江田五月会長に、「国立小鹿島病院 院生自治会」 金明鎬会長の『陳情書』を手渡す。参議院議員会館内の「江田五月議員室」において(2005年11月17日)。
  tokyo02

「江田五月参議院議員室」内の情況写真。(2005年11月17日)。

    

tokyo03  民主党前原誠司党首、民主党『次の内閣』ネクスト厚生労働大臣・仙谷由人衆議院議員宛てに、仙谷由人衆議院議員の来(らい)孝平政策秘書に小鹿島病院自治会・金明鎬会長の『陳情書』を手渡す。(2005年11月17日)。
仙谷由人衆議院議員室にて。tokyo04

    

  

  

  

tokyo05  公明党幹事長・冬柴鐡三衆議院議員の政策秘書・増喜重敏さんへ公明党幹事長に、小鹿島病院自治会の金明鎬会長からの『陳情書』を渡していただくよう依頼する。(2005年11月17日、公明党幹事長・冬柴鐡三衆議院議員室にて)。
 

 

 

tokyo06 社民党党首・福島みずほ参議院議員に、小鹿島病院自治会の金明鎬会長の『陳情書』を手渡す滝尾英二。(2005年11月17日、福島みずほ参議院議員室において)。
 

 

 

tokyo07 社民党政調会長・阿部知子衆議院議員に、小鹿島の現状の被害事実の深刻さを話し、平等の原則に立脚して迅速に補償方策を行ない、生存中に被害者の名誉回復を図る必要を訴える。(2005年11月17日、阿部知子衆議院議員室にいて)。
 

 

 

tokyo08社民党福島みずほ参議院議員の秘書である石川 顕さんと一緒で、川崎二郎厚生労働大臣宛てに、小鹿島病院自治会・金明鎬会長の『陳情書』を渡すため、厚生労働省へ行き、厚生労働大臣秘書官室の遠山明広秘書官に『陳情書』を手渡す。(2005年11月18日、厚生労働省において)。
 

 

tokyo10 日本共産党 書記局長・市田忠義書記局長に、小鹿島病院自治会の金明鎬会長の『要望書』を手渡す滝尾英二。(2005年11月18日、代々木にある日本共産党本部の応接室において)。
 

 

tokyo09日本共産党の市田忠義事務局長に、11月13~14日に小鹿島で撮影した入所者のハラボジの相継ぐ死去の葬儀の模様や被害者の姿、監禁室、断種台、納骨堂、松ヤニの採取のため樹皮を削りとられた松の木などの写真を見せ、小鹿島更生園の管理・運営で甚大・深刻な被害情況を書いた自著を寄贈した。市田忠義事務局長からは、「共産党の国会議員団とも相談し、小鹿島訪問を含めて、この問題を検討したい」という回答を得た。5分間を予定していた時間をはるかに越える懇談となった。

   

*註)自民党国会議員には、安倍晋三衆議院議員(官房長官)の議員室を訪問し小鹿島病院自治会の金自治会長の『陳情書』、それに自著『小鹿島更生園強制収容患者の被害事実とその責任所在』人権図書館・広島青丘文庫(2004年5月)発行、および、『未来』2005年11月号(滝尾英二著「植民地下 小鹿島更生園での<生体実験> -KBS(韓国放送)の取材に答えて」を添えて手渡そうとしたが、安倍晋三衆議院議員の秘書が、「安倍晋三衆議院議員は、官房長官となり行政官となり、党籍から離脱している。また、一切の<陳情書>はいただかないことになっています。」ということであった。
 そうして、「自民党本部に「総裁・小泉純一郎」宛てにお出しになられたら。なおその「諸資料は、行政官の安倍晋三が施策を考える参考資料にしたいと思います。そうした意味で、陳情書ではなく、寄贈していただけば、頂きたいと思います。」ということだったので、諸資料と「日本語訳の『陳情書』」を寄贈しておいた。近日中に自民党本部の「総裁・小泉純一郎」宛てに、『陳情書』は発送したいと考えている。     

    

| コメント (5) | トラックバック (0)

2005年11月16日 (水)

ソロクト訪問の報告 2 【滝尾】より

 明日の広島駅新幹線「のぞみ」6時23分発の東京駅行きで発ち、東京駅には10時30分着きます。東京では、国会議員会館や政府関係機関へ行きます。国会議員やその秘書、法務省や厚生労働省などの関係者に、11月13日・14日の両日小鹿島を訪問した際の入所者=とりわけ、原告の方がた、金明鎬自治会長を始めとする自治会員の皆さまたちの、日本政府への強い要望などの「声」を、早急に立法府、さらに行政府の人たちに、伝えたいと考えたからです。だって、現在の衆参両議員の方のなかで、だれひとり小鹿島を訪問し、入所者の「要望」などを聞いた方は皆無だからです。現行の『補償法』は、厚生労働大臣の閣僚会議後の「記者会見」では、来年1月当初に始まる通常国会で、見直す意向が示され、新たに「救済策」が提出されようとしているからです。

 小鹿島(ソロクト)にいる方がたの「声」を私なりに纏めてみると、つぎの2点です。

 (1) 今年のクリスマスまでに、国会議員や行政当局の方がたが、ぜひとも小鹿島へ来訪され、戦前日本帝国政府によりつくられ、運営された施設が、今も数多く残されているので、見てもらいたいという要望があります。日本国内では、各ハンセン病療養所には、国会議員や裁判長の訪問調査がなされていると聞きます。なぜ、小鹿島の訪問をなさらないで、10月25日の「敗訴判決」を言い渡されたのですか。不満です。

 戦前につくられ運営された監禁室、解剖台、その解剖室にある断種台、人権無視の強制労働で造営された造営物(煉瓦工場跡、600メートルもある大桟橋、灯台、中央公園、建物など)、松ヤニの採取の松の古木、さらに、小鹿島神社もその遺構が残されています。島内には「刑務所跡」も残されています。これらをぜひ、見てもらいたいのです。

 また、日本の植民地下に収容された患者たちからお聞きできると思いますが、人権を踏みにじる過酷な労働させられた数々の「声」を直接お聞きめがいたい。当時の入所者は大部分はキリスト教徒でしたが、神社参拝、周防園長像への偶像参拝なども強制され、思想・信条の自由を奪われました。日本から国会議員たちの方がたが、直接被害者たちに会って、肌で補償が必要だということ、そして、人権の回復がなされなければならないということを、知っていただきたいことです。

 (2)つぎに「平等の原則」の立場で、迅速の補償方案を整備してもらいたいことです。被害者たちが補償を請求して2年間が経過していますが、その間、二十三名がこの世を去りました。救済がなされないまま、生存中の名誉回復を熱望しながら、怨嗟の気持ちを抱いてこの世を去ったのです。
 原告たちは皆、80歳を越えています。その上に重度の障害を持っています。日本国内の療養所の患者以上の過酷な人権・人命侵害を受けている人たちです。早急な謝罪に基づく補償をして下さい。

 要約すれば、以上のような「声」が叫ばれています。今回お逢いした原告の方のひとりは、「我々は、天皇陛下の赤子だと教育され、そのようになれと強制された。だけど、10月25日の裁判では私たちは、敗訴しました。これはとうてい、納得いきません」と、「くやし涙」を流されていた。私は日本人のひとりとして、また長いこと「不作為」を恥じ入るばかりでした。お詫びするだけでした。

 昨日(11月15日)夕刻、広島の自宅に帰り、デジカメで撮った「ハラボジの葬儀」の模様などをCDに作製し、写真の説明を書いて、『滝尾英二的こころ』の「管理者」宛てに送信しました。今朝(16日の朝)までかかったのでしょう。起きてみたら、見事の編集された「フォート・エッセイ」風の「ソロクト報告=そのⅠ」ができていました。

 明朝は、早く自宅を出て東京へ行かねばなりません。その為の準備もまだです。短い「メッセージ」となりましたが、11月19日(日曜日)の『滝尾英二こころ』のメッセージは、「東京訪問報告」を書く予定にしています。では、また、それを読んで下さい。

   2005年11月16日(水曜日)  22:17

                 人権図書館・広島青丘文庫  滝 尾 英 二

| コメント (0) | トラックバック (0)

ソロクト報告【第一報】(1)

 11月12日(土曜日)、原告のハラボジがまた1名亡くなりました。申請を却下され、訴訟した方の死亡者数は、23名となりました。

 このように、原告の方を含めて、次々に亡くなっています。この現実を日本政府など関係者は、知っているのでしょうか。

 翌13日(日曜日)にも、これは非原告のハラボジですが、逝去され、11月14日(日曜日)に、新生教会で、午前8時から、教会の横の広場で、葬儀が行なわれました。

 私は、金明鎬自治会長に、参列するよう要請されて、出席させていただきました。「賛美歌」や「聖書」の朗読があり、「お棺」は、新生里の人たちの手で運ばれ、車で北生里にある「火葬場」に運ばれました。DSCF1607

   
   
    

         

DSCF1610 教会の庭の「葬儀」で、私の坐っていた隣のハラボジは、「賛美歌」を私に示しながら、大声で歌っていました。私も五線譜がありましたので、曲に合わせて「賛美歌」を斉唱しました。

                              

DSCF1614     この写真は、教会での「葬儀」が終り、火葬場に「棺(ひつぎ)」が、新生里の人たちによって運ばれていることろです。
      

        
        
          
           
         
         
          
           
        
          
             

DSCF1617   バス2台に乗って、近所の方がたや親族・知人などが、「火葬場」へ行きました。これは一台目のバスが、北生里の「火葬場」に到着したところです。 少し、小雨がぱらつきましたが、大雨にならず~。「涙雨」だったのでしょうか。

  
    
                   

DSCF1628       私も誘われて、バスに乗り、「火葬場」に行き、そこでまた、お祈りや「賛美歌」が歌われました。私もメロディーに合わせて、歌いました。

北生里にある「火葬場」での最後のお別れの「祈り」をする人たち 。

        

DSCF1629 荼毘にふされる「逝去されたハラボジ」の遺体
 

 

          

          

DSCF1638 2005年10月14日までに、小鹿島で亡くなり「納骨堂」に納められた方は、10,409位にも及んでいる。

 

   
    
    
   
     
     
        
           
      

     

DSCF1641 「納骨堂」が一杯になると、遺骨は順次、その裏にある小さい「土墳」に埋葬される。
葬儀のあと、裏にある小さい「土墳」に祈る滝尾。
 

 

   

滝尾英二  11月15日(火)21:00

      

   

| コメント (0) | トラックバック (0)

ソロクト報告【第一報】(2)

DSCF1515 小鹿島(ソロクト)と鹿洞(ノクトン)を結ぶ「架橋工事」が行なわれている。果たして、喜ぶことか。どうか。  

                                            

DSCF1571 「監禁室」の小窓からもれる光の中で。
                                                                    

DSCF1572「監禁室」の白壁に書かれた「落書き」。日帝期に書かれたのものや、その後に書かれたものもあり、判別はむつかしい。

                                                                                                 

DSCF1568 「監禁室」のある初冬の風景。
                            

DSCF1575   「監禁室」の内部から見た「赤れんが」の壁。

                                      

DSCF1631日帝期に造られた「火葬場」は、今の「火葬場」の後ろにあったが、2001年8月に壊され、取り残された後は、整地されて広場となっている。                  

DSCF1632    火葬場の外は、北生里に広がる海か開けている。

                                             



DSCF1585    DSCF1584
日帝期の戦争末期に、「松脂」をとるために、松の皮を剥ぎ取った跡。 (通訳として同行してくれた天飛龍氏撮影)

    

                 滝尾英二  16日(水)  0:45AM

  

  

| コメント (0) | トラックバック (0)

ソロクト報告【第一報】(3)

DSCF1520   原告のチャンさんの部屋を訪問し、ソロクト判決のあった10月25日、「衆議院第2議員会館」の廊下で約束したお揃いのトレイニング・ウエアーを着て、記念撮影した写真。

   

 

       

DSCF1523   チャンさんの同室のハラボジと3名で。このハラボジは、難聴気味で大きな声でないと聞こえない。人の良さそうな方だった。11月13日の日めくりのカレンダーがあった。

 

DSCF1530  イーさんの部屋で、お揃いのウエアを着て、記念撮影。「長生きしようよ!」「しましょう!」と、語り合った。

   

   

   

    
   
 



DSCF1540 イーさんの部屋で、両手を握り合って「アリラン」などを歌う。

DSCF1538  白のウエアを着た横顔は、すてきでしょう。
   
     
    

DSCF1533 イーさんのご両親と弟。左前列の少女がイーさん。60余年前の少女時代の面影が残っている。
   
    
    
     

DSCF1549 ムンさんの部屋で、歌いまた踊る4名。「春が来た」や「シナの夜」の歌が出て、私もビックリした。
   
    
     
     
      
      
      
      
     
      
      



DSCF1547 ご夫妻とも、失明されている。左の女性は、一緒に同室で暮らすかたです。歌にあわせて、踊って下さった。
      
        
         

| コメント (0) | トラックバック (0)

ソロクト報告【第一報】(4)

小鹿島を訪問し、自治会室と同じ棟の宿泊所に一泊して、キム自治会長を始め自治会員たちと十分に話合えたことであろう。同時通訳のできる「S&S語学研究所」所長のチョ ンビリョン(天 飛龍)さんに感謝したい。
 私の小鹿島を訪問を歓迎し、いろいろのお世話をしていただいた、キム自治会長をはじめ自治会の人たち、および、病院関係者に感謝したい。

DSCF1516     私たちをソロクトを波止場まで車で迎えに来ていたオー班長さん、葬儀のお世話の合間に自治会室まで帰ってお逢いしていただいた自治会長です。

   

   

   

     
         

DSCF1561  日帝期に「レンガ工場」のあった場所に建てられたキリスト像です。解放後にレンガ工場の煙突のあったところに建てられたと言います。   

     
    
    
     

   
    
     
             

4-03食事は、朝・昼・夜とも病院のかたと同じ食堂で食べました。 
   
      
    
     
       
       
       
       
      
      
       
     
     4-04

私のソロクト訪問で、終始世話をしていただいた自治委員の金成坤(キム・ソンコン)さんです。東京地裁にも原告の車椅子を押して裁判傍聴や集会の参加をされました。
   
    
    
     
     
     
     
     

4-05 自治会室を辞す時に、自治会室にて会長と班長(11月14日の午後)。
    
     
     
     
      
      
      
       
       
       
       
        

       

4-06「遺体安置台」です。 (「ソロクト写真・資料」参照)
    
    
    
    
    
     
     
      
      
     

          

    4-07

  

「遺体解剖台」です。(「ソロクト写真・資料」参照)

| コメント (0) | トラックバック (0)

2005年11月 9日 (水)

韓国<聯合ニュース 2005/11/08>の紹介と、滝尾が友人宛てに送ったメールです

 『滝尾英二的こころ』の読者に、下記のソウルの福留範昭さんから送られたメールを紹介します。訳者は、森川静子さんです。また、滝尾が友人宛てに送ったメールも掲示しておきます。「小鹿島・楽生院・訴訟」の正念場は、今からだと思います。福留範昭さんは、いま、「日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会 出帆1周年記念国際シンポジウム」に出席される為に、ソウルを訪問されています。下記の韓国<聯合ニュース 2005/11/08>の紹介は、ソウルから滝尾宛てに送信していただきました。
 お忙しいなかをメールで送信していただいた福留範昭さんに感謝を申上げます。

 私たちは、日本の「天皇制国家」がおかした「侵略戦争」の被害事実の真相究明をしなければなりません。そして、日本が行なった「植民地」・「占領地」での残虐・非道を極めた行為を、白日のもとに明らかにし、その責任を明らかにする必要があります。だから、日本政府がなさねばならないことは、ハンセン病歴者に対する<救済策>ではなく、日本政府の「国家謝罪」と、それに基づく「補償=賠償」でなければなりません。政府に対して「平等の原則」の立場で、本来もつ『補償法』の正しい認識にたって、それを実行するよう闘いを続けていきましょう。

 日本国内のハンセン病問題と異なる不平等な『補償法』の適用には、断固、抗議しましょう。特に、『補償法』の適用範囲を小鹿島更生園、台湾楽生院だけにとどめず、日本国家・政府が行なった、すべてのハンセン病患者に適用するよう、政府や国会に要請していきましょう。このことの実現なしでは、世界中から非難・批判を再度受けるでしょう。このことが、私たちに問われているのです。

    2005年11月9日(水曜日)  チャムギル・日本支部長 滝 尾 英 二

****************************************************************

 <韓国の過去問題に関する記事を紹介します。>

1) 日本、ハンセン者訴訟控訴、補償検討を併行 (聯合ニュース)
5) 安倍、「靖国参拝継続」を再確認 (聯合ニュース)
1) ****************************
[聯合ニュース 2005/11/08 14:03]

 <日本、ハンセン者訴訟控訴、補償検討を併行>

 (東京=聯合ニュース) シン・ジホン特派員= 日帝強占期に療養施設に強制収容された台湾のハンセン者が補償を要求した訴訟で敗訴した日本政府が、8日東京高等裁判所に控訴した。

 日本の川崎二郎厚生労働相は、この日記者会見をして、「現行のハンセン氏病補償法は海外の治療所への元入所者などを対象にしたのではない」とし、控訴の背景を明らかにした。

控訴と別に、川崎厚生労働相は、日本政府が日帝強占期に強制収容した韓国と台湾、太平洋の4諸島のハンセン者に補償する方法を迅速に検討するという立場を表明した。

日本政府が台湾のハンセン者の訴訟を控訴したのは、訴訟を進めて、補償交渉を有利に導くための戦略と解釈される。同じ内容の訴訟で日本政府側に敗訴した韓国小鹿島(ソロクト)のハンセン者は、すでに控訴している状態だ。

川崎厚生労働相は、過去にハンセン病補償法を日本の国会で審議する過程で、韓国と台湾のハンセン者に対する補償が「検討課題」として留保されたことに言及し、「法を新しく作るのか改正するのか分からないが、法的な準備が必要だ」という意向を明らかにし、今後、補償を検討する時に、ハンセン病補償法に手をつけることを示唆した。

また補償金額については、「戦後まですべて日本が責任を負わなければならないのかについては議論がある」とし、1人当り800万~1,400万円ずつが補償された自国のハンセン者とは差別を置くことを予告した。

日本政府は2001年、熊本地方裁判所がらい病予防法(1996年廃止)に伴う強制隔離規定を違憲と判決すると、その年にハンセン病補償法を制定し、自国のハンセン者に1人当たり800万~1,400万円ずつを補償した。

日本政府のこの日の控訴のニュースに、台湾の原告団は記者会見し、「納得ができず、生存中の解決を望む原告たちの悲痛な願いを踏みにじるもの」だとし、「原告はすべて高齢なので、待っている時間がない」と批判した。

****************************************************************
<友人宛ての滝尾のメール>

(前略)‥‥政治的状況、社会的状況を、客観的に考え、来年1月開会の「通常国会」で、『補償法』が政府提案で審議され、その結果、「厚生労働大臣告示」が変えられる可能性が高いと考えられます。

 その「国会」で、「補償の範囲」や「補償金の金額」等が、審議されるようになると思います。しかし、韓国の場合に限っていいましても、「ヨス(麗水)愛養園」や「テグ(大邱)愛楽園」、さらには、総督府に解散させられた「釜山相愛園」(=現・龍湖農場」)の収容者の問題があり、「行路死亡者」に「ハンセン病患者」の数からみて、非入所者のハンセン病患者が、日帝期に、朝鮮総督府の差別政策により、生業を奪われて、流浪し、あるいは、隠れすんだ数は多数に及んでいます。

 この問題で、私は1995年に、一書を自家本で出版し、その一部は、拙著『朝鮮ハンセン病史』未来社(2001年)の「Ⅱ-1 <浮浪し、行き倒れたハンセン病患者たち>」として、同書の107~120ページに収録されています。また、小鹿島更生園に収容され、朝鮮戦争で、北朝鮮(「共和国」)へ、居住を移した人たちもいます。また、1960年初頭に、軍事政権下で「定着村」には行かず、自宅から保健所や民間の病院に通院した人たちも、多いのです。これらの人たちは、すでに高齢で、「日本の『補償法』のこと」も、知らない人たちがいます。

 『補償法』は、5年間の時限立法で、来年6月で、申請されません。
 こうしたことを、「弁護団」はじめ「市民学会」研究者たちも、もちろん、『補償法』を審議するであろう国会議員たちも、『補償法』だか『救済策』だか分かりませんが、これを提案する厚生労働省の官僚たちも、具体的内容は、その実態を掴んでいないと思います。これからがたいへんです。

 『補償法』等の審議で、再び、「弁護団」や、審議する「国会議員」の手で、日帝期のハンセン病政策で、深刻な被害を受けてきた方がたを「切り捨てて」しまうことが、起ることを私は、非常に危惧しております。「補償」は、原告が高齢者であることでから急がなければなりませんが、「拙速」であってはなりません。

 *)このメールは、友人に送ったメールの一部分です。ご参考にして下さい。
 滝尾英二が11月9日に、追記しました。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2005年11月 8日 (火)

「台湾判決の控訴」の暴挙を糾弾するとともに、「原告弁護団」や「ハンセン病市民学会委員」らの「戦争責任」追及の弱さに一言する!

                人権図書館・広島青丘文庫 主宰 滝 尾 英 二
                                               (2005年11月8日、12:27、記す)

 <ハンセン病訴訟:厚労相 台湾訴訟の控訴を発表>

日本が統治時代に韓国と台湾に開設したハンセン病療養所を巡る裁判で、国が敗訴した台湾訴訟について、川崎二郎・厚生労働相は8日の閣議後会見で、控訴することを正式に発表した。一方で、控訴とは別に、韓国と台湾に加え、パラオとサイパン、ヤップ、ヤルートの太平洋の4島を含め国外の療養所の入所者に対し、適正な補償をするため、省内で検討し速やかに結論を出す考えを示した。

 川崎厚労相は、ハンセン病補償法は国外の入所者を対象にしていないという国の主張を繰り返し、台湾訴訟の判決とは解釈が違うため、「控訴して上級審の判断を求めることにした」と話した。

 しかし、植民地下の韓国、台湾の入所者について「日本国内の患者と同様の人権侵害を受けた」との指摘があり、補償が課題になっていた。厚労省は今後、補償法の改正を視野に入れながら、新たな補償の枠組みを検討する見通し。【玉木達也】

毎日新聞 2005年11月8日 11時53分

******************************************************************

 「‥‥控訴とは別に、韓国と台湾に加え、パラオとサイパン、ヤップ、ヤルートの太平洋の4島を含め国外の療養所の入所者に対し、適正な補償をするため、省内で検討し速やかに結論を出す考えを示した。」だと。

 政府に、先を越された「原告弁護団」「ハンセン病市民学会(以下、「市民学会」とする)委員」らの面子なしの行為を、今回はどのように「原告弁護団」「市民学会委員」らは、言い訳・言い逃れをするのでしょうか。
 「原告弁護団」や「市民学会・委員」の「日帝期の侵略戦争による被害実態」「戦後責任」を持たないいままでの経緯を考えた上で、『検証会議・最終報告書』にも、この「韓国、台湾だけでなくパラオ、サイパン(米)、ヤップ(ミクロネシア連邦)、ヤルート(マーシャル諸島)の太平洋の4地域」の、ハンセン病患者を隔離収容し、患者を虐殺した被害事実を書かなかった内田博文検証会議副座長兼検討会委員(現「市民学会」共同代表)、藤野豊検証会議委員兼検討会委員(現「市民学会」事務局長)の各氏、さらに、徳田靖之氏(現「市民学会」共同代表」)らのこの問題意識の無さとその責任を、きびしく批判するとともに、今後の行動をどうされるのか、質問したい。

 ソロクトのチャンさん! イさん! 原告の皆さん。キム・ヨンホ自治会長を始めとする自治会の皆さん。そして、楽生院の原告の皆さん! ここまで良く闘われましたね。ありがとうございました。ありがとうございます。11月13~14両日は、10月25日の「国会議員会館」の廊下でお約束した通り、写真をプリントした「トレーナー」を持って、ソロクトに参ります。長生きをして下さい。亡くなっては、「恨」ははれません。長生きをして下さい。お願い。 お願いですよ!

         人権図書館・広島青丘文庫 主宰 滝尾英二
             メールアドレス=takio@fureai-ch.ne.jp
                          電話番号=082-842-0710

              2005年11月8日(火曜日)  午後0時27分です。

******************************************************************

【社会ニュース - 11月8日(火)12時19分  ニュース記事写真動画トピックス 条件検索 】
 <ハンセン病訴訟、国が控訴 元入所者の補償も別途検討>

 日本の植民地時代に開設された台湾と韓国のハンセン病療養所の元入所者らが補償を求めた2つの訴訟で、川崎二郎厚生労働相は控訴期限の8日、国が敗訴した台湾訴訟について東京高裁に控訴すると発表した。

 一方で、訴訟とは別に国内外の元入所者らの適正な補償の在り方を速やかに検討する考えを表明。韓国、台湾だけでなくパラオ、サイパン(米)、ヤップ(ミクロネシア連邦)、ヤルート(マーシャル諸島)の太平洋の4地域も救済対象に含め、法の制定・改定作業を進める。

 2訴訟は東京地裁の判断が真っ二つに割れ、国の対応が注目されていた。国が勝訴した韓国訴訟は既に原告が控訴。「総督府の下にあった施設が補償対象かどうか」という法律論は高裁に持ち込まれることになった。
        (共同通信) - 11月8日12時19分更新

******************************************************************

 <或る親友からの「通信」より>

 滝尾さんからのお電話で川村厚労大臣の「控訴と検討」発表を知りました。午後1時のNHKラジオニュースでも放送していました。

 私の感想は、まずは、滝尾さんの心血を注いだ長年のご努力なくして、ここまでこれなかったということです。
 ニュースを聞いた人たちは、なぜ突然、南洋庁支配下地域の人たちも対象にするのか、きっとわからないと思います。具体的な内容を知ってもらうために『飛礫47』の滝尾論文をもっと宣伝しないといけませんね。その上で、台湾訴訟を控訴した国に対しては、裁判という非日常のやっかいごとを再度、台湾の原告たちに負わせるという暴挙に抗議します。
 これはソロクト訴訟の控訴人である方たちにたいしてもそうですが。「国外療養所入所者への適正な補償」については国内の補償と同一にするよう求めます。さらに国外療養所入所者にたいする徹底的な調査と個別に「植民地支配下での人権蹂躙」への謝罪を求めます。遅れをとった弁護団を批判することはいつでもできますが、この事態を受けて、弁護団がどのような態度をとるのかを見届けることも必要ですね。

 国の態度は「補償法」の冷厳な事実をふまえてのことですから、国のほうが内容は不十分かつ差別的ではあっても、筋がとおっています。「補償法にもとづき」とはもう言えないですね。弁護団はこの事態から何を学んだのかを明らかにしてほしい、と言うほうが建設的かもしれません。
 とりあえずは、滝尾さんの「全仕事」にこころより敬意を表します。

******************************************************************

 【追記=11月8日(火曜日) 16:10 滝尾英二】

 「‥‥小鹿島更生園・台湾楽生院以外の占領地の療養所入所者に関する補償の検討の必要性にも言及されているが、既に被害実態が明らかになっている2園についての救済を遅らせる理由とはなりえない。」(「~国宗直子弁護団長『声明』11月8日付)というその可笑しさです。
 だって、「既に被害実態が明らかになっている2園についての救済」を云々することです。また、なぜ、2001年6月の『補償法』が制定・公布され、「厚生労働大臣の告示」が出されていながら、植民地・占領地のハンセン病問題を4年間余の空白を作り、調査することも、政府に調査さすことも怠った「原告弁護団」、「検証会議委員、同検討会委員」や「市民学会」の調査を未だしていないこと、しかも、ソロクト=植民地下の朝鮮の被害や責任のことも、その殆んどを滝尾の調査・研究に依拠して裁判をした者たちにこそ、大きな責任があるはずです。また、「ヨス(麗水)愛養園」や「テグ(大邱)」愛楽園の日帝期に収容された方がたや、非入所者、それに家族・遺族の被害は、切り捨ててしまうのでしょうか。

 「闘い」とは、政府の抗議行動や抗議集会だけではありません。研究しその被害実態や責任を明らかにすることも、『滝尾英二的こころ』の「管理者」のようにこれをつくり、発表することも立派な「闘い」です。それを無視しているのでしょう。「~弁護団」たちは、いったい何をもって一定の成果をあげて「我々の闘い」の結果というのでしょうか。滝尾たちは、「~弁護団」のいう「我々」ではありません。

 それでは、なぜ、政府は「ミクロネシア4島」を云々するのか。それは、ミクロネシア4島が、日本の「南洋庁」が統治した「植民地」であったからです。(国は「満州同康院」を補償対象がら外して、ミクロネシア4島をいうのか、それは、満州は傀儡政権ではあったとしても、満州国政府があったが、ミクロネシア4島は、日本政府(国家)が植民地として、「南洋庁」が設立したハンセン病施設であったからです。(政府の「歴史認識」「侵略戦争責任」の認識の欠如ですが‥‥。また、『検証会議・最終報告書』は、わずかばかりで、しかも歴史事実を間違ってはいますが、4島のことは書かれていることもあると思います。)

 「~弁護団」は、未だにミクロネシアを「植民地」とは言わず、「占領地」だと言っております。ミクロネシア4島のハンセン病収容所は、国が1922年につくった「南洋庁」が設立したものです。「~弁護団」の意見は、すでに論理が「破綻」しているのに、未だ、こんな『声明』で言い逃れをしているのです。
 「~弁護団」の『どしがたさ』が、そこにあります。そのことを銘記して下さい。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2005年11月 7日 (月)

韓国の「福祉社会を志向する市民の集い チャムギル」(代表は鄭 鶴理事長)の『声明書-これ以上、小鹿島ハンセン者の「恨」を踏みにじるな-성명서 - 더이상소록도 한센인의 한을 짓밟지 마라! ―』について

                  チャムギル日本支部長 滝 尾 英 二
                                      (2005年11月7日)

 2005年10月31日に、「福祉社会を志向する市民の集い チャムギル」(代表は鄭 鶴理事長)『声明書-これ以上、小鹿島ハンセン者の「恨」を踏みにじるな-』を発表した。以下の『声明文』は、『HP恨生(はんせん)』の管理人・山口進一郎氏の「仮訳」を使用させていただいた。山口氏には、チャムギル日本支部長である滝尾英二より、こころからの謝意を申上げます。

 「ソロクト訴訟」が具体的に始めようと決意したのは、2003年8月8日に、チャムギルの主催で小鹿島で開催された「韓日合同の人権シンポジウム」による。当時の小鹿島入所者自治会のカン・デシ会長らも出席し、テグに事務所のある「法務法人・三一」の崔鳳泰弁護士(現・日帝強占下 強制動員被害真相究明委員会の事務局長)が司会した集会で、徳田靖之弁護士が提案して、出席者が同意して、その大綱が決まったものである。

 そのことについては、滝尾英二著「『韓国国立小鹿島病院入所者の提訴の経緯』(『未來』458号所収、2004年11月)に書いた。また、国宗直子弁護士のホームページ「NAOKO'S HOME PAGE」でも、そのシンポジウムの「報告文」をみることができる。

 私は、小鹿島の入所者を支援する市民団体の母体であるチャムギル代表から要請されて、11月11日に、本部があるテグを訪問する。そして、日本での「ソロクト訴訟」をめぐる問題や課題を報告するとともに、さらなる強力な支援要請を要請したいと考えている。そのあと、小鹿島を訪問し、原告のハラボジ・ハルモニや、キム自治会長はじめ関係者とお逢いし、ご意見などを伺いたいと考えている。それらの報告は、この『滝尾英二的こころ』にも、メッセージなどを通して、掲示していく所存である。

 山口進一郎氏の「仮訳」を使用させていただいたが、山口氏も、<韓国では「ハンセン病回復者」に対して「ハンセン人」という言葉を使っているようです。気になる言葉ですが原文を大切にして訳しています>、とおっしゃっています。「強制動員ネットワーク」(事務局長は福留範昭氏)が「新聞記事」の紹介記事で、韓国では「ハンセン人」使用しているが、それを訳文では、「ハンセン者」と訳しておられる(断ってであるが)。その新聞報道を、従来から『滝尾英二的こころ』へ訳文を掲示している関係から、今回も山口氏の訳文の「ハンセン人」を「ハンセン者」に書き改めてさせていただいた。そのことを、お断りいたしたいと思う。

 チャムギルの『声明書-これ以上、小鹿島ハンセン者の「恨」を踏みにじるな-』には、つぎのような内容の文章で『声明書』が結ばれている。このメッセージを終えるにあたり、その文を紹介しておきたい。

 「‥‥日帝強占期に強制して隔離収容された状態の人権侵害行為に対して日本政府は、心から謝罪と補償をするよう韓国政府と政界は、日本政府に強力に要求しなければならない。
 われわれは次のように要求しこれを実現するため、必要な行動を展開する。

1.ハンセン者の数十年間いだいてきた「恨」を踏みにじる日本東京地方裁判所民事3部は覚醒しろ!
2.日本政府は日帝強占期、強制収容した小鹿島ハンセン者に対し即刻、謝罪と補償をしろ!
3.ハンセン者訴訟に消極的に対処した韓国政府は反省し、小鹿島ハンセン者の人権回復のために即刻、起ち上がれ!
4.韓国政府と政界は日本の厚生労働省が「ハンセン病補償法」告示を見直しするよう、強力に要求しろ!
5.1962年まで日本のハンセン者に対する政策を維持し、その以後にも行なわれた人権侵害行為に対し、韓国政府はハンセン者に謝罪し賠償しろ!
6.政界は、この度の定期国会で発議された“ハンセン者被害事件の真相究明と被害者の生活支援等に関する法律案”を、必ず制定しろ!

   2005年10月31日
                福祉社会を志向する市民の集い チャムギル」。

==================================

   『声明書  -これ以上小鹿島ハンセン者の「恨」を踏みにじるな!-』

 さる25日、日本東京地方裁判所民事3部は日帝強占期に小鹿島更生園に強制収容された117名の韓国ハンセン者が日本政府を相手に、補償拒否した行政決定の取り消しを求めて訴訟していた原告に敗訴決定を下した。

 この判決の要点は裁判部が、“療養施設収容者が受けた偏見と差別の原因の一端が戦争前の隔離政策によるものであることは否定できない”と原告側の主張を一部認定しつつも、“法の審議過程等で外地(外国)にある療養所収容者は補償対象という認識はなかった。”ということだった。同日、台湾のハンセン者の訴訟が勝訴したことと相反する結果のため、多くの言論がこの問題を積極的に報道している。

 チャンギル会は、次のように立場を明らかにする。

 まず、今回の裁判は人類の普遍的価値である人間の尊厳性を無視したことだ。来年、開園90周年になる小鹿島更生園は、日帝強占期に数千名のハンセン者が強制収用された所だ。収容されたハンセン者は朝から晩まで強制労役に動員され、傷や凍傷により指は切り取られ、足は使うことができなくなってしまった。神社参拝を拒否した罪で強制精管(断種)手術を受けた。断種、堕胎、手足切断手術が日常的に行われ、監禁室を設置し身体を強制的に拘束し、家族もたやすくは会えなくし、一般社会とは徹底的に断絶させる等、今まで踏みにじられた人権侵害行為はおしはかることができない。それにも関わらず、日本の裁判部がこのような人権侵害行為に対して補償に応じないことは、日帝強占期に強制収容されたハンセン者の尊厳性を徹底的に無視することである。

 第二に、日本政府は強占期、ハンセン者に対する人権侵害行為に対し、心から謝罪し、補償しなければならない。日本の厚生労働省は「ハンセン病補償法」が日本国内のハンセン者を補償するための趣旨の法であると主張しているが、小鹿島の収容施設は日帝統治下で天皇の勅令により設立されたものであるため、日本の国立ハンセン病療養所に該当する。国籍と居住地による制限のないこの法律は、施設入所者を幅広く救済するものであるという台湾判決を出した民事38部のように積極的に、この法を解釈し補償することだけが、日本政府が国家の人道主義的責任に関する国際基準を守るということになる。

 第三に、この裁判は拱手傍観する韓国政府は反省し、この問題解決のために、全ての外交的チャンネルを総動員しなければならない。結果が報道されるや、保健福祉部はこの度の裁判結果に対し、遺憾の意を表し、控訴審において公正な判決が出されなければならないという立場を明らかにした。

 一言で言えば、後の祭りということだ。韓国政府が、裁判過程を見て積極的に支援したならば、違う結果を引き出せたということだ。問題は訴訟人の平均年齢が80歳を超えているだけでなく、もはや訴訟人中5名が亡くなられている。控訴審までどれくらい多くの人たちが、「恨」を解けずして天国に召されねばならないのかわからない。特に日本の「ハンセン病補償法」は2006年6月までの時限立法であることに鑑み、裁判とは別に、韓国政府は全ての外交的手段を動員して、日本政府が補償するようにしなければならない。

 チャンギル会は、社会ではまだハンセン者に対する誤解と偏見にとらわれていた1984年から小鹿島にいるハンセン者と縁を結び今日に至っている。私たちは数十年間、その人たちに対して徹底して目をそらしてきたにも関わらず、その方々は私たちの社会を許していることを知って、彼らの前で頭を上げることができなかった。侵害を被ったその方々の人権は、その方々がこの地に生きておられる時に回復しなければならない。また、日帝強占期に強制して隔離収容された状態の人権侵害行為に対して、日本政府は心から謝罪と補償をするよう韓国政府と政界は、日本政府に強力に要求しなければならない。

 われわれは、次のように要求しこれを実現するため必要な行動を展開する。

1.ハンセン者の数十年間いだいてきた「恨」を踏みにじる日本東京地方裁判所民事3部は覚醒しろ!
2.日本政府は日帝強占期、強制収容した小鹿島ハンセン者に対し即刻、謝罪と補償をしろ!
3.ハンセン者の訴訟に消極的に対処した韓国政府は反省し、小鹿島ハンセン者の人権回復のために即刻、起ち上がれ!
4.韓国政府と政界は日本の厚生労働省が、「ハンセン病補償法」告示を見直しするよう強力に要求しろ!
5.1962年まで日本のハンセン者に対する政策を維持し、その以後にも行なわれた人権侵害行為に対し、韓国政府はハンセン者に謝罪し賠償しろ!
6.政界はこの度定期国会で発議された“ハンセン者被害事件の真相究明と被害者の生活支援等に関する法律案”を、必ず制定しろ!

   2005年10月31日
                 福祉社会を志向する市民の集い チャンギル会

==================================
              (HP恨生(はんせん)管理人 山口進一郎 仮訳)
 詳しくは原文に当たってほしい。

 韓国では「ハンセン病回復者」に対して「ハンセン人」とい言う言葉を使っているようです。気になる言葉ですが原文を大切にして訳しています。翻訳にあたり、分かりにくい言葉もありました。この訳文はチャンギル会の公式訳文ではありませんので活用に当たって配慮をお願いします。

----------------------------------------------------------------

성명서 - 더이상소록도 한센인의 한을 짓밟지 마라! 

                                              성   명   서

                         - 더 이상 소록도 한센인의 한을 짓밟지 마라! -
         
  지난 25일 일본 도쿄지방법원 민사3부는 일제 강점기에 소록도갱생원에 강제 수용됐던 117명의 한국 한센인이 일본 정부를 상대로 보상을 거부한 행정결정을 취소해달라며 제기한 소송에서 원고 패소 결정을 내렸다.

이 판결의 요점은 재판부가 "요양시설 수용자가 받은 편견과 차별의 원인의 일단이 전쟁 전 일본의 격리정책에서 비롯됐다는 것은 부정하기 어렵다"고 원고 측 주장을 일부 인정하면서도 "법 심의과정 등에서 외지(외국)에 있는 요양소 수용자도 보상대상이라는 인식은 없었다"는 것이었다.  같은 날 대만 한센인의 소송이 승소한 것과는 상반된 결과 때문에 많은 언론에서 이 문제를 적극 보도하고 있다.  참길회는 기본적으로 이 문제가 일본이 한국을 차별하고 있다는 다소 감정적인 접근을 경계하며,  다음과 같이 입장을 밝힌다.

첫째, 이번 재판은 인류의 보편적 가치인 인간의 존엄성을 무시한 것이다.  내년에 개원 90주년을 맞는 소록도 갱생원은 일제 강점기에 수천 명의 한센인이 강제 수용된 곳이다.  수용된 한센인은 새벽부터 밤까지 강제노역에 동원되어 상처, 동상 등으로 손가락이 잘려나가고, 다리를 못 쓰게 되기도 하였고, 신사참배를 거부한 죄로 강제 정관(단종)수술을 받기도 하였다.  단종, 낙태, 손발 절단 수술이 일상적으로 행해졌으며, 자체적으로 감금실을 두어 신체를 강제 구속하고, 가족도 쉽게 만날 수 없도록 하여 일반 사회와는 철저하게 단절시키는 등 지금까지 밝혀진 인권 침해 행위는 이루 헤아릴 수 없을 정도다.  그럼에도 불구하고 일본 재판부가 이러한 인권 침해 행위에 대한 보상을 외면하는 것은 일제 강점기에 강제 수용된 한센인의 존엄성을 철저히 무시하는 것이다.

둘째, 일본 정부는 일제 강점기 한센인에 대한 인권 침해 행위에 대해 진정으로 사죄하고, 보상해야 한다.  일본 후생노동성은 한센병보상법이 일본 국내의 한센인을 보상하기 위한 취지의 법이라 주장하고 있으나, 수용시설은 일제 통치하에서 천황의 칙령으로 설립된 것이기 때문에 일본의 국립한센병요양소에 해당된다.  국적과 거주지 등을 제한하는 규정이 없는 이 법은 시설 입소자를 폭넓게 구제하기 위한 것이라는 대만 판결을 맡은 민사 38부처럼 적극적으로 이 법을 해석하여 보상하는 것만이 일본 정부가 국가의 인도주의적 책임에 관한 국제 기준을 지키는 것이라 할 것이다.
         
셋째, 이 재판을 수수방관한 우리 정부는 반성하고, 이 문제 해결을 위해 모든 외교적 채널을 총동원하여야 한다.  결과가 보도되자 보건복지부는 이번 재판 결과에 대해 유감의 뜻을 밝히고, 항소심에서 공정한 판결이 나와야 한다는 입장을 밝혔다.  한마디로 뒷북을 치고 있는 것이다.  우리 정부가 재판과정에 보다 적극적으로 지원했다면 결과가 달라질 수 있었을 것이다.  문제는 소송인의 평균나이가 80세가 넘을 뿐 아니라 이미 소송인 중 5명이 이 땅을 떠난 것에서 알 수 있듯이 항소심까지 또 얼마나 많은 분들이 한을 풀지 못한 채 하늘나라로 갈지 모른다.  특히 일본 한센인보상법은 2006년 6월까지의 한시입법임을 감안하면 재판과는 별도로 우리 정부는 모든 외교적 수단을 동원하여 일본 정부가 적극 나서서 보상을 하도록 해야 한다. 

  참길회는 우리 사회가 한센인에 대한 오해와 편견으로 온통 사로잡혀 있던 1984년부터 소록도에 계신 한센인과 인연을 맺어 지금에 이르고 있다.  이 기간에 우리는 우리 사회가 수십 년간 그분들을 철저히 외면했음에도 불구하고 그분들은 우리 사회를 이미 용서하고 있음에 고개를 들 수가 없었다.  그러나 침해당한 그분들의 인권은 그분들이 이 땅에 살아계실 때 회복되어야 한다.  더구나 일제 강점기에 강제로 격리 수용당한 상태에서의 인권 침해 행위에 대해서는 응당 일본 정부가 진심으로 사과하고 보상해야 하며,  우리 정부와 정치권은 일본 정부에 이를 강력히 요구해야 할 것이다.  이에 우리는 다음과 같이 요구하며, 이를 실현하기 위해 필요한 행동을 전개할 것이다.

1. 한센인의 수십 년간 맺힌 한을 짓밟은 일본 사법부는 각성하라!
2. 일본 정부는 일제 강점기 강제 수용한 소록도 한센인에 대해 즉각 사죄하고 배상하라!
3. 한센인 소송에 소극 대처한 우리 정부는 반성하고, 소록도 한센인의 인권회복을 위해 적극 나서라!
4. 우리 정부와 정치권은 일본 후생노동성이 한센병보상법 고시를 고치도록 강력히 요구하라!
5. 1962년까지 일본의 한센인에 대한 정책을 유지하고, 그 이후에도 자행된 인권 침해 행위에 대해 한국 정부는 한센인에게 사죄하고 배상하라!
6. 정치권은 이번 정기국회에서 이미 발의된 “한센인피해사건의 진상규명 및 피해자 생활지원 등에 관한 법률안”을 반드시 제정하라!


                                            2005년 10월 31일

                      복지사회를 향한 시민의 모임   참     길    회

| コメント (0) | トラックバック (0)

2005年11月 6日 (日)

滝尾のところへ届けられた「二人の質問、およびご意見」に答えて

               人権図書館・広島青丘文庫  滝 尾 英 二
                       (2005年11月07日 19:25~21:15)

【その一】

 委員会の中にハンセン病についての班ができたのは今回の裁判が契機でなく、ソロクトに隔離された人の子供(家族・遺族)からの訴えに基づいて作られたとのことを先日、滝尾さんから聞きました。

 【滝尾=<本年5月24日に、日帝強占下強制動員被害真相究明委員会の崔鳳泰(Choi,Bong-Tae)事務局長=(かつての大邱にある法務法人「三一」の弁護士で、2003年8月8日に、小鹿島での韓日合同人権シンポジウムをした際の司会と通訳をし、今回のソロクト訴訟に賛意・支持していただいた弁護士の方です。)から、私が直接伺ったのですが、同被害真相究明委員会に、調査依頼をした方は、済州島(チェジュト)居住者で、すでに逝去された父親が、日帝期に小鹿島更生園に隔離収容されていた遺族の息子さんからの要請があったので、同・被害真相究明委員会の調査委員会で審議し取り上げることとし、同委員会の調査テーマとした、と話されました。まぎれもなく、韓国の国内の遺族・家族のからの問題提議によって、日帝期のハンセン病施策の被害調査がなされているのです。>

 今回の政治決着では、その人たちは、また、置き去りにされてしまいます。国内の遺族・家族の問題と同じことが、というより遺族原告にもなれないのだったら既に問題が生じており、既に切り捨てられおり、更に正式に切り捨てられてしまう。その人は何故、遺族原告にならなかったのか、なれなかったのか、しなかったのか?

 【滝尾】=<あなたの意見に、私も同感いたします。ハンセン病患者・病歴者のみならず、その家族は深刻な被害を受けてきましたし、いまも受けています。>

 熊本判決直後の「補償法」が作られる時と同じような状況で、繰り返されてる思いです。原告側の理由は、「高齢で次々に亡くなられているから早急に、時間がない」というものですが、滝尾さんの「英二的こころ」にもあるように、無為に近い状態にしておいて、つまり『申請』後も放っておいたことを棚あげにして、今、弁護団や弁護団に言われて支援が言うなんて、どうなのだと問いたいです。問われる一人に私もいるのですが‥‥。
 日本でのハンセン病問題の歴史検証、真相究明も、この「強制動員ネットワーク」の方たちと連携していくのが今後重要ですね。

 【滝尾】=<私もこの点、同感します。私たちに新聞報道など提供していただいている方がたは「強制動員ネットワーク」の方たちです。とりわけ、同ネットの事務局長の福留範昭様には、いつも、いつもお世話になっております。>

********************************
 【その二】

 滝尾先生、

 お忙しい時に本当にすみません。お時間がある時に、アドバイスをお願いしたいことがあります。

 「検証会議」の『最終報告書』を受けての補償法の見直しを要求することさえせず、「告示に2施設を加えるだけ」とした場合、事実上補償請求の途を断ってしまう、つまり日本の弁護団と支援者たちが、もろともに、今まさに切り捨てようとしている方たちの被害や現時点での認識は、次のように考えて良いでしょうか。間違っている点、加えるべき点などがありましたらお教えください。

○ミクロネシアの被害(これは『飛礫』誌47号に集約されているのでわかり易いが~。)
 収容された人びとはおそらく全員虐殺されている。遺族が残っている可能性はあるかもしれない。

 【滝尾】=<『飛礫』第45号=2005年夏、7月発行に、「日本の植民地支配下にあったミクロネシアのハンセン病隔離政策の被害と国家責任」41~55ページを書きました。また、「検証会議の各位」にも、ミクロネシアのハンセン病患者たちの被害事実とその責任について、「意見書」を書いて本年の3月に送付しております。
 日本政府が、なによりもしなければならないことは、その被害の実態調査です。私はまだ、その資料や証人は調査すれば、それは「ある」と確信しています。その調査を国は、早急に行なう必要があると考えます。>

○「満州同康院」の入所者
 満州、ミクロネシア共に、今現在、日本政府による被害実態調査や真相究明の要求につながる動きはあまりに小さい。「告示に2施設を加えるのみ」の要求はさらにその途を閉ざすものである。

 【滝尾】=<同感です。「満州同康院」の入所者の被害実態とその責任については、『ハンセン病問題に関する検証会議・最終報告書』(2005年3月発行)にも、かなり書かれております。本年3月1日に、ハンセン病問題に関する検証会議の金平輝子座長から、尾辻厚生労働大臣に、この『~最終報告書』は手渡されています。この「検証会議」に委託したのは、当の厚生労働省です。したがって、『補償法』に基づく大臣告示に、「満州同康院」を加えること、国はその被害者と家族・遺族に謝罪し、補償=賠償するのは、当然のことです。>

○韓国内で小鹿島更生園には収容された経歴がない人

 ①私立施設の入所者・麗水の愛養園や大邱愛楽園

 キリスト教宣教師たちが作った。1941年5月に宣教師たちが国外に追放された後、アジア・太平洋戦争が始まった同年12月には「朝鮮らい予防協会」の直轄となり、警察署長が園長に就任し、園内では小鹿島更生園と同様のことをやっていた。

②定着村の生活者
 例えばキリスト教宣教師が作った釜山相愛園のマケンジー園長は、釜山要塞が丸見えの丘に相愛園があって、それゆえ、「要塞法」違反で逮捕されています。その後、朝鮮総督府により、このハンセン病療養所である「釜山相愛園」は接収され、そこに収容されていたハンセン病患者は全員、解散させられ四散させられてしまいました。
 自活の術を奪ったたうえに、日本政府は、さらなる被害をハンセン病患者に与えたのではないのか。具体的な被害はどうとらえるか‥‥‥?

 【滝尾】=<麗水の愛養園や大邱愛楽園にも、日帝期に収容されています。麗水の愛養園(それは、順天<スンチョン>空港のすぐ裏手にあります。)のピース・ハウスなどに収容されている方がたを私は何人も知っています。その方の写真も撮って所蔵しています。安藤とか、小松という警察署長たちが、1941年以降は、同園長となり、断種や強制労働を入所患者に行なっています。ヨス愛養園、テグ愛楽園の二園は、朝鮮総督府の第三者機関としての朝鮮癩予防協会(事務局は朝鮮総督府警務局衛生課)が管理し運営をしています。かつてのウイルソン(大邱愛楽園長)やフレッチャー(大邱愛楽園長)は国外に追放しています。滝尾英二著『朝鮮ハンセン病史―日本植民地下の小鹿島(ソロクト)』未来社(2001年9月)の「年表」か、詳しくは「滝尾英二的こころ」の「年表」をご覧下さい。

 ご指摘のように、釜山の龍湖農場は、かつては、現在の釜山外国語大学校あたりにあり、それが現在は、その東方・五六島のすぐ近くに、解放後の1946年3月に移ったものです。詳しくは、滝尾英二著『朝鮮ハンセン病史―日本植民地下の小鹿島(ソロクト)』未来社(2001年9月)発行の「補講2 釜山の龍湖農場(定着村)」303~312ページに書いていますのでご参考下さい。

 しかし、日帝期の日本国家が行なった問題の大きな課題は、滝尾英二著『朝鮮ハンセン病史―日本植民地下の小鹿島(ソロクト)』未来社(2001年9月)の8ページにも書いていますように、軍事政権下で、小鹿島病院から放り出されたハンセン病患者や病歴者が、韓国社会でその半数は在宅(故郷に帰るなどして)、差別と偏見の社会で、子供を生み、育てていること、現在ではその子供は結婚して、孫を産み、育てています。その数は「登録管理患者」の半数にも及び、ハンセン病差別を受けながら、保健所治療やハンセン病関係の外来治療を受けています。

 こうした方がたは、未だに「ハンセン病補償法」すら知らず、知らされずに「補償申請」を誰もしていないということです。しかも、日帝期のハンセン病政策によって、いまだにその差別・偏見を受け続けているという、この現実を日本政府はどうするのか、という問題です。

 『補償法』は、5年間の時限立法です。来年の6月になると、「申請」できません。どうしても、期限の延長をし、この問題に日本政府は取り組まなければなりません。

 新聞報道によると、「救済策」の対象者を400名と政府は踏んでいるようですが、とても、そのような少人数ではありません。占領地の問題も考えなければ、また「平等の原則」から逸脱することでしょう。この点を、政府も立法者である国会も、「~弁護団」も、その支援者たちも、後世に言い訳のつかないことがないよう、歴史に恥じないように行動する必要があります。「重い十字架」を我々は背負っているということを銘記して欲しいと思います。「再び過ちを繰り返さない」よう、歴史に恥じないよう考えて、行動してもらいたいと考えます。

○台湾で、楽生院への入所歴がない人
         (不明です。)

 韓国の私立療養所や定着村以外にも、日本統治下にあった各地に、「(鳥取事件の)Tさん」や「れんげ草の会の方たち」は存在しているはずであり、そのどこまでを日本政府が補償すべきなのかは難しいのかもしれませんが、日本人として、そうした方たちへの償いの途も、今まさに、私たちの手で、断ち切りなさいと要求しているのだということは、支援者たちに向かって訴えておかなければならないと思います。

 それから、「ハンセン病問題に学ぶ」と称した「ハンセン病市民学会」も、同じ道を選んだということも、支援者に認識してもらいたいと思う。

                        (05年11月6日、滝尾記す)

| コメント (0) | トラックバック (0)

11月5日の「日本の新聞報道」を受けての諸意見および、「ソロクトの声」、「弁護団の声明」などについて

 先にお伝えし、若干の意見を述べましたが、この「11月5日の新聞報道」前後に、つぎのような「情報」が、インターネットや「メール」で滝尾宛に届いています。これらを参考にして、各自が自分の意思・見解をもたれるよう期待しています。

             05年11月6日(日曜日) 05:35AM  滝尾英二より

******************************

(「情報」その1)=福留氏からのメールの配信です。ありがとうございます。【滝尾】

 韓国の過去問題に関する記事のうち「ハンセン病行政訴訟」の記事を紹介します。

 1) 日本政府、韓国・台湾のハンセン者に補償の方針 (聯合ニュース)
 2) ハンセン病患者への補償方針に「歓迎するが早急に」 (聯合ニュース)

1) ***************************
[聯合ニュース 2005/11/05 09:24]

 日本政府、韓国・台湾のハンセン者に補償の方針

 (東京=聯合ニュース) シン・ジホン特派員= 日本政府が韓国と台湾のハンセン者に対して補償をする方針だ、と読売新聞が5日報道した。

 日本の厚生労働省は、自国のハンセン者を補償したハンセン病補償法に基づき、韓国と台湾のハンセン者も包括的に救済するという方針を決めた。対象者は両国合わせて400人余りに達する見通しだ。

 日本政府は、日本側が先月25日に韓国のハンセン者の訴訟では勝訴したが、台湾のハンセン者の訴訟では敗訴したので、台湾側の訴訟に対して一たん東京高裁に控訴した後、韓国及び台湾のハンセン者側と和解を推進することにした。台湾のハンセン者の訴訟を控訴することにしたのは、訴訟を進めながら補償を有利に導くための戦略と解釈される。

 このように日本政府が補償する方向に方針を決定したのは、台湾のハンセン者の訴訟勝訴のほかにも、韓国政府が韓・日間で解決されなければならない主要な外交懸案としてハンセン者の問題を打ち出したためと解釈される。

 これに先立ち、日本の「ハンセン病問題に関する検証会議」は、厚生労働省の依頼で調査して3月に発表した報告書を通じて、「小鹿島(ソロクト)などの療養所のハンセン者の問題も、日本のハンセン者の隔離政策の一環であり、日本の患者と同じ人権侵害を受けた」との結論を出した。

 日本政府は、2001年に熊本地裁が、らい病予防法(1996年廃止)に伴う強制隔離規定を違憲と判決すると、その年にハンセン病補償法を制定し、自国のハンセン者に1人当たり800万~1,400万円ずつ補償した。

<森川静子訳>

2) **************************************
[聯合ニュース 日本語版 2005/11/05 16:12]

ハンセン病患者への補償方針に「歓迎するが早急に」

 (ソウル5日聯合) 日本の厚生労働省が自国のハンセン病患者に対するハンセン病補償法をもとに、韓国と台湾の原告らを包括的に救済する方針を固めたとの読売新聞の報道に対し、韓国の関連団体などからは歓迎とともに、早急な補償を求める声が上がっている。

 大韓弁護士協会ハンセン病小鹿島補償請求訴訟の韓国側弁護団代表、朴立永(パク・ヨンニプ)弁護士は5日、「これまで日本の弁護士や研究団、韓国の弁護団、市民団体などが抗議活動を続け、補償を要求してきた成果として、まずは歓迎する」と述べた。

 また、潘基文(パン・ギムン)外交通商部長官が、韓日外相会談や小泉首相との会談の際にハンセン病問題を取り上げたことが大きな影響を与えたとの見方を示し、「引き続き政府の努力に期待する」と話した。朴弁護士は一方で、日本政府から公式発表があったわけではなく、先日、日本の国側が敗訴した台湾人のハンセン病訴訟に対し、日本政府が控訴する構えを見せていることにも言及。「控訴は日本側の“時間稼ぎ”ではないか。現在のハンセン病患者の平均年齢が80歳を超えていることを考えると、実質的な保障が遅れることが非常に心配」と訴えた。

 ハンセン病患者の人権団体であるハンビッ福祉協会のイ・ギリョン常務は「日本政府が自らの過ちを認めたことを70%程度は歓迎しているが、公式発表を待ちたい」と述べた。日本政府が台湾訴訟に控訴の構えを見せていることについては、「補償額交渉の際に日本が有利な立場に立つための行為」との見方を示し、「台湾と韓国では韓国の方が患者数も多く状況も違うため、台湾に対するのと同じ姿勢で韓国との交渉に臨まれては困る」と主張した。

 読売新聞の5日の報道では、救済対象者は韓国と台湾を合わせ400人以上になる見通しとしている。

 ******************************

(「情報」その二)「ソロクト原告の声」
                *【滝尾=読みやすくするため、改行等をした】
 2005年11月05日 「小鹿島にて2 :片山通夫」

 [韓国・小鹿島発]このほど一審で敗訴した裁判の原告2人に話を聞いた。二人とも解放前(戦前)からこの小鹿島で強制隔離されている人達。写真を撮るのが痛々しいかぎりだったが、ご本人たちが「かまわない」とおっしゃる。裁判での必死の訴えにこたえねばならない。今回、2人の写真も併せて紹介する。

 【その一】パク・インスクさん(82才)。彼女は12才で発病した。慶尚北道チョンド出身。日本人の警察官が何度も家に来て「病院に入りなさい。3年で病気が治る。」と入院を勧めた。「両親は娘はまだ12才で幼いので‥‥」と最初は断ったが、あまり何度も執拗に言われたのと、3年で病気が治るならと入院する事にしたと言う。
 パク・インスクさんは裁判で、植民地時代、この島で何が起っていたのか、そしてそれは誰が起こしたのかを明確にしたいと原告の一人となった。
 「私は82才。ここに来て70年。気の遠くなるような歳月を過ごした。もちろんお金で解決できる問題ではない。でも今となってはそれしか解決の方法がないでしょう。」
 彼女の手は両手首から先がない。入院・治療とは名ばかりで、苛酷な重労働を強制されて、病気の進行とあいまって、凍傷などで切断せざるを得なくなったと言う。

 【その二】 もう一人の原告、チャン・ギジンさん(84才、慶尚北道チョンソウン出身)は15才で発病して20才になって強制入院させられた。彼も入院・治療とは名ばかりで、「くる日もくる日もレンガ造りや瓦作り、また戦争の末期には松根油採取の仕事、ノルマがあって出来なければ、監禁室に入れられる」と話す。監禁室など院内の設備については次回に譲るが、朝鮮総督府令により設置された、当時はその懲罰も合法だった事に驚くが、その事実を指摘しておきたい。
 チャンさんは「私達が死ぬのを待っているのか」と話ながら、パクさん同様、手首から先を喪失した手で涙を拭った。

     (Posted by journalist_net at 13:26)

 *****************************
(「情報」その三)

2005年11月05日
 韓国ハンセン病訴訟:片山通夫(Posted by journalist_net )[韓国・釜山発]

 夕方の韓国の主なテレビニュースは、日本の新聞各紙の報道として「厚生労働省は5日、国側が敗訴した台湾訴訟について東京高裁に控訴する方針。しかしながら、旧植民地の元入所者らへの何らかの対応は必要との声が政府・与党内にあるを踏まえ、法とは別の救済措置を設ける方向で検討」と伝え、裁判によらない救済の可能性に言及した。このニュースを知った韓国・小鹿島病院自治会のキム・ミョンホ会長は、筆者の電話取材に対して次のように答えた。

 「私も今テレビのニュースで知ったばかりです。まだ日本からは報告はありません。ニュースでは台湾訴訟に関して日本政府は上告するという話でしたが、残念です。台湾の人達も相当の年齢です。裁判でいたずらに時間を引き伸ばすなんて。例えば私が10月に東京へ行っていた1週間の間に、小鹿島では3人の人が亡くなりました。時間との競争なんです。私達は小鹿島とソウルで日本政府に対して控訴しないようデモをする予定です。」
と語った。

  *************************************************************

声  明
2005(平成17)年11月5日
     小鹿島更生園・台湾生院補償請求弁護団   代 表   国 宗 直 子

 東京地方裁判所民事第38部が言渡したハンセン病補償金不支給処分の取り消しを命じた判決の控訴期限が11月8日に迫っている。
 一部報道機関では、厚生労働省は、控訴を断念すれば、台湾の入所者にハンセン病補償法に基づき、最低800万円の補償金を支払うことになり、補償金額や補償対象者の認定方法に検討の余地がなくなる等との理由から、控訴をした上で和解を目指す方針であると報道されている。
 しかし、厚生労働省のかかる方針は、以下の理由から断じて受け入れることはできない。
 第1に、原告らの早期救済がはかられない。原告らの年齢は平均81歳を超えており、小鹿島更生園の入所者だけでも、補償請求後、既に21人が死亡し、本年8月から現在に至るまで3ヶ月間の死亡者は5名を数えている。控訴して和解協議により解決するという枠組みでは、解決が大幅に遅延し、生きて解決を得たいと願う原告らの悲痛な願いを踏みにじることになる。
 第2に、原告らの平等な救済が実現できない。原告らはわが国の隔離政策の被害者としてわが国のハンセン病患者と同等もしくはそれ以上に過酷な被害を受けてきたものである。この点は、厚生労働省自身が救済の基本的方針の根拠としてあげているハンセン病検証会議最終報告書に明かである。従って、補償法の趣旨や平等原則に照らし、日本国内の療養所の入所者と補償金額の格差をつけることはできない。控訴審における和解により金額に格差を設けることは、新たな差別を生むことに他ならず、補償金額の見直しを目的とする控訴は断じて認めることはできない。
 第3に、補償金支給に当たっての認定方法の問題は、支給審査の段階における技術的な問題にすぎず、必要とあれば別途ルールを策定すれば足りるのであり、解決の枠組み自体を左右するような問題ではなく、到底控訴をする理由とはなりえない。
 控訴断念なくして本問題の救済はない。
 原告らの請求を認容した民事38部の判決はもとより、同3部の判決も現行の補償法下で告示に占領下の療養所を含めて規定することは可能であるとの解釈を示している。
政府は、控訴を断念して告示改正による早期の平等救済をはかるべきである。今こそ政治的な決断が求められている。
 我々は、控訴期限ぎりぎりまで控訴断念を求めて全力で闘い抜く決意である。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2005年11月 5日 (土)

『ハンセン病訴訟、政府が新たな救済策検討』の危険な方向

 文末に紹介したように、11月5日の新聞報道は、『朝日新聞』『毎日新聞』の記事を見る限り、政府は危険な方向を取ろうとしていると考える。

政府が新たな救済策検討を始めたが、ハンセン病訴訟を始めたソロクト更生園・台湾楽生院の原告=ハンセン病歴者たちの望むことは、日本政府による単なる「救済策」ではない。そのことは、韓国政府が考え、現に「韓国人権政策委員会=人権政策局」や「韓国国会」で議員たちが審議を始めている。

  11月5日の『読売新聞』の報道によると、台湾総統府はすでに、日本の統治を離れた終戦後の隔離政策などの責任を取る形で7000万台湾元(約2億4500万円)の予算を計上して、入所者の救済に充てる方針を示している」という。

 日本政府が、何よりも必要なことは、非道・残虐を極めた過去=日帝期に行なった植民地政策に対して、「被害事実」を認め、その「責任」所在を謝罪をし、その上にたった補償=賠償でなくてはならない。単なる経済的な「救済策」では、ないはずである。韓国小鹿島の原告も、台湾楽生院の原告も、日本政府に求めたのは、日本国内の並みの謝罪をともなう補償金の支給である。なぜ、日本国内のハンセン病歴者と異なった対応をとろうとするのか。これは差別施策と違うのか。

 日本側が、今になって「救済策」をいうのはおかしいと考えるが、いかがなものであろう。

 その点を日本政府は、よく認識すべきだと思う。

    11月5日(土) 17:30  人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二より

================================
 ハンセン病訴訟、政府が新たな救済策検討へ 『朝日新聞』2005年11月05日11時53分

 日本の植民地統治下の時代に、韓国や台湾のハンセン病療養所に入所させられていた人たちがハンセン病補償法に基づく補償を求めていた裁判で、厚生労働省は5日、国側が敗訴した台湾訴訟について東京高裁に控訴する方針を決めた。ただ、海外のこうした元入所者らへの何らかの対応は必要との声が政府・与党内にあることから、現行法とは別の救済措置を設ける方向で検討している。

 厚労省は当初、現行法の告示の変更などによる救済が可能かどうか検討した。だが、現行法は53年に制定された「らい予防法」によって強制隔離を続けられたり、社会で偏見・差別を受けたりした人への補償を前提としているため、「らい予防法」が適用されない国外の入所者を対象にすることは難しいと判断。現行法での補償については控訴して、上級審の判断を仰ぐことにした。

 ただ、厚労省が設置した第三者機関「ハンセン病問題検証会議」が今年3月、植民地統治下の入所者について「日本国内の患者と同様の人権侵害を受けた」と結論づけたほか、法律の制定過程でも、こうした人たちへの補償について「今後の検討課題」とされていた経緯がある。このため、現行法とは別の枠組みによる救済が可能かどうか、今後、検討していくことにした。

 先月末の東京地裁判決では、台湾訴訟について原告側の請求を認めたが、韓国訴訟については現行法の対象とされていないとして元入所者らの請求を棄却し、二つの訴訟で判断が分かれていた。韓国の入所者はすでに、判決を不服として東京高裁に控訴している。

********************************
 ハンセン病補償法訴訟:台湾訴訟 国が控訴へ 原告の救済検討も 『毎日新聞』11月5日、東京夕刊

 韓国と台湾のハンセン病療養所を巡る裁判で、厚生労働省は5日、国が敗訴した台湾訴訟について、控訴する方針を固めた。しかし、政府内では救済の必要性を指摘する声が強いため、控訴する一方で、勝訴した韓国訴訟とともに原告の救済方法を検討する。
 厚労省は判決への対応について、告示の変更などで、救済できるかどうかを検討していたが、53年に制定された「らい予防法」は戦前の国外の入所者への適応は難しいと判断。法務省とも協議した結果、控訴する方向となった。

 ただ、厚労省が委託した第三者機関「ハンセン病問題検証会議」が今年3月、植民地下の韓国、台湾の入所者について「少なくとも日本国内の患者と同様の人権侵害を受けた」と指摘。補償について今後の課題としていた。このため、厚労省は現行法とは別の枠組みで救済ができないかを、控訴する一方で検討する。

 韓国、台湾の両訴訟では先月25日、東京地裁で台湾訴訟はハンセン病補償法に基づく補償を認め、韓国訴訟では認めないとして、判断が分かれていた。【玉木達也】
毎日新聞 2005年11月5日 東京夕刊

| コメント (0) | トラックバック (0)

『補償法』成立経緯と川田悦子氏(衆議院議員・厚生委員会委員)の意見、および「検証会議最終報告書」後に『補償法』見直しの「提言」をしなかった「市民学会」の疑問について 【下】

      チャムギル日本支部長(人権図書館・広島青丘文庫) 滝 尾 英 二
                            (2005年11月4日、記す)

 (一)小鹿島訴訟「鶴岡稔彦裁判長の判決要旨」から

 (争点)[33-74](文中の頁数は、判決書の頁数を示すものである。)
 本件の争点は、本件療養所の厚労省告示該当性であり、その前提として、ハンセン病補償法の趣旨が問題となる。(当裁判所の判断)[74-97](その一部を抜粋する。)

 (2)「国立ハンセン病療養所等」の意義について[76-76ページ]

 ハンセン病補償法2条にいう「国立ハンセン病療養所等」‥‥同条は、「その他の厚生労働省が定めるハンセン病療養所」と定めるのであって、少なくとも、その文言上は、どのような施設が含まれるのかが明らかでないというほかはないから、同法の審議過程や、同法全体の規定ぶり、その趣旨、目的等に照らしてこれを解釈していくほかはない。

 ア ハンセン病補償法の審議過程等からの検討[77-81] (ア)は省略。

 (イ) これに対し、本件療養所のように、終戦に伴って我が国の領土ではなくなった地域に所在するハンセン病療養所(以下「外地療養所」という。)に関しては、少なくとも、これらの療養所入所者を補償の対象とすることを前提とした質疑応答は存在しない。
そして、本件療養所の取扱いに関連する質疑を詳細に検討すると、沖縄の療養所入所者や、旧法適応時のみの入所者、琉球政府時代のみの入所者、私立療養所の入所者についての入所者については、それらがハンセン病補償法の補償の対象になるかどうかという明確な問題意識の下に、いずれも補償の対象になることを確認するための質問がされ、これを肯定する回答がされているのに対し、本件療養所入所者に関しては、将来の検討課題としてどのように取り扱うかという問題意識に基づくと考えられる質問がされており、これらの質問は、外地療養所の入所者が補償の対象になるとは意識せず、あるいは、補償対象にはならないことを前提とした上で、これらの者に対しても今後対応が必要ではないかという点を指摘したものと理解するのが素直である。そして、これらの質問に対する答弁も、上記質問の問題意識の域を出るものではないし、この点について更に突っ込んだ質問がされた形跡を出るものではないのであるから、ハンセン病補償法の立案者やこれを審議した国会の問題意識も、上記の域を出るものではなかったというほかはない。(ア)は略。

 (エ)以上のようなハンセン病補償法の審議経過からすると、外地療養所の入所者が、同法による補償の対象になるということが、明確に認識されていなかったことは明らかであるし、むしろ、これらの者は、直ちに同法の適用対象となるものではないとの認識が前提にあったものと考えるのが素直な理解というべきである。

(二) ここまでの、私(=滝尾)の見解

 <ア> こうして鶴岡稔彦裁判長の「判決文」を読んでみると、『補償法』の審議過程において、鶴岡稔彦裁判長の「判決文」には、同感する内容があることは否めない。つまり、前述したように、『補償法』の審議過程において「ハンセン病補償法の審議経過からすると、外地療養所の入所者が、同法による補償の対象になるということが、明確に認識されていなかったことは明らかであるし、むしろ、これらの者は、直ちに同法の適用対象となるものではないとの認識が前提にあったものと考え」(鶴岡判決文)られるからである。これを今後の「控訴審」において、原告弁護団はどのように論破するのだろうか。高裁所属の裁判官は、台湾訴訟を担当し「原告の勝訴判決」を言い渡した菅野博之裁判長タイプの裁判長は少ないのではないだろうか。

 私は、10月25日の判決までは、従来の判決例からして、鶴岡稔彦裁判長は「原告勝訴判決」するが、菅野博之裁判長は、「原告敗訴」判決をするかもしれないと思っていた。ところが、結果は「逆の判決」が言い渡された。二つの「正反対」の判決が出たのはなぜか。今すぐには結論がでない。しかし、『補償法』成立審議の経緯についての川田悦子議員(衆議院議員・厚生委員会委員)の意見は、既に『えつこ通信・第5号』(2001年8月1日発行)として、インターネット上でも簡単に「検索」出来る。それは、このメッセージの【上】で紹介した通りである。また、日本原告ハンセン病国家賠償訴訟日本原告団・日本原告ハンセン病国家賠償訴訟西日本弁護団は、司法上の全面解決にあたっての声明(2002.1.30)を出し、国内のハンセン病政策による被害者のみを視野に入れた「国内主義、排外主義」に基づく声明をおこなった。その内容は、国宗直子弁護士のホームページ「NAOKO'S HOME  PAGE」でもみることができる。小鹿島更生園に収容された被害者の救済は、これらの資料をみると希薄といわざるを得ない。

 しかし、「台湾判決」を担当した菅野博之裁判長は、「患者が長年の間、偏見や差別と隔離政策の中で、多大な苦難を強いられてきたことを真しに受け止め」、「補償法は、広く網羅的にハンセン病の救護・療養施設に入所していた者を救済しようとする特別な立法」と述べ、入所者を補償の対象から除外することは、「平等取り扱いの原則」に反するとして、日本政府に対し処分の取り消しを命じた。

 <イ>ところで、鶴岡稔彦裁判長は判決で、「補償法」制定時の国会審議過程云々で「原告敗訴」を言い渡したが、本年になっても鶴岡裁判長によっても「ソロクト訴訟判決」の勝訴するチャンスはあったと、私は思う。

 厚生労働省の委託に基づいて「ハンセン病問題に関する検証会議」が設置され、2004年4月その研究結果は、『2003年度・ハンセン病問題検証会議報告書』(2004年4月発行)にまとめられたが、2001年6月成立の「補償法」の意識を継続し、植民地での被害状況を「日本ハンセン病政策の一環」とはとらえず、「日本のハンセン病対策の全体像を明らかにする一助として、現地調査と文献資料を行った」とする植民地支配下のハンセン病政策をまったくふまえていない2003年度の報告を行っていた。

 私は、この『~中間報告書』を直ちに批判し、長文な『意見書・質問書』を「~検証会議」に提出し、(「滝尾英二的こころ」の書庫の『2003年度ハンセン病問題検証会議報告書』(2004年4月)への意見書・質問書(2004.6.11) を参照されたい)、「検証会議・検討会合同会議」を傍聴し、また、滝尾英二著『小鹿島更生園強制収容患者の被害事実とその責任所在』人権図書館・広島青丘文庫(2004年5月)発行の自家本を同会委員に手渡した。
 また、『飛礫』第44号=2004年10月号に「ハンセン病問題検証会議への意見書―植民地下朝鮮でのハンセン病政策の被害と責任を明らかにせよ」を掲載した。『2003年度・ハンセン病問題検証会議報告書』の「旧植民地におけるハンセン病患者の処遇と政策」中「一、韓国」の原案執筆者である魯 紅梅さん(順天堂大学医学部 助手)とその指導教官である酒井シズ客員教授(ともに検証会議委員、酒井教授はその運営委員である)には、何度か資料を渡し、かつ、順天堂大学医学部を訪問し、直接酒井シズ客員教授にはお会いして、小鹿島更生園強制収容患者の被害事実とその責任所在についてお話しした。

 このような経緯を経て、まがりなりにも「検証会議委員のソロクト訪問」を実現させ、また『検証会議・最終報告書』(2005年3月発行)の「旧植民地におけるハンセン病患者の処遇と政策」は書き改められた。滝尾の著書からの資料を数多く利用し『検証会議・最終報告書』の「旧植民地におけるハンセン病患者の処遇と政策」中「一、韓国」は書かれていった。「日本のハンセン病対策の全体像を明らかにする一助として、植民地時代における韓国のハンセン病対策について現地調査(といっても肝心な小鹿島へも行かずに=滝尾)と文献調査を行った」など『2003年度・ハンセン病問題検証会議報告書』は書いていたが、『検証会議・最終報告書』は、「一助」を「一環」と書き改めている。

 しかし、『検証会議・最終報告書』は書いたけれども、「魂の抜けた」書き方であったため、次々と問題を惹き起こした。『朝日新聞』(朝刊)2005年3月13日付けの紙上で姜尚中東大教授は、『検証会議・最終報告書』(2005年3月発行)に対する「虚偽・誹謗」事件を惹き起こし、それを「検証会議委員」である「朝日新聞 編集委員」の藤森 研氏は、その記事を不問にしてしまった。同じく、「ソロクト弁護団」の徳田靖之弁護士も、姜尚中教授の「虚偽・誹謗」事件を知りながら、これまた、この姜尚中教授の「虚偽・誹謗記事」を不問とした。このことについての経緯は、「滝尾英二的こころ」の「書庫」の「朝日新聞編集部長・姜尚中東大教授宛て【抗議】」(2005.3.14)および、「姜尚中氏からの手紙に答えて」(2005.3.28)を参照されたい。

 第二の問題は、『検証会議・最終報告書』は本年(2005年)3月1日に厚生労働大臣に提出されたけれど、『補償法』の見直しとそれに基づく「大臣告示」の問題点を誰一人、具体的に国会(立法府)と政府(=行政)にて提言していないことである。
 「歴史には、イフはない」が、しかし、『検証会議・最終報告書』を受けて国会が、『補償法』とそれに基づく「大臣告示」の見直しをしていたら、「ソロクトの原告敗訴」の「判決」も、鶴岡稔彦裁判長はしなかったろうし、<旧植民地ハンセン病訴訟 原告をこのまま帰していいのか(2005年10月28日)>というようなことには、なっていなかったはずである。

 10月31日からソロクトを訪ねた片山道夫さんに、小鹿島病院自治会長キム・ヨンホさんは片山さんの質問にこう答えている。(ジャーナリストネット)

 ――敗訴を知った時、何を考えましたか。

 キム会長 「小鹿島で待っている仲間たちのことを考えました。もうみんな90%は勝てる裁判だと希望をもっていました。熊本の裁判で日本のハンセン病訴訟は終わりを告げました。国が過ちを認めて補償をしました。全く同じ境遇だった私達が負けることは考えられなかった。私は、敗訴を知らせるために電話をかけました。皆、お年寄りなのでどのように話すべきか、迷いました」と。このような哀しみを再び起こさせてはならない。

 さて、「ハンセン病市民学会」(以下「市民学会」とする)は、今年の5月に立ち上がった。「市民学会」は研究のみならず、規約(2005年5月14日、発効)をみると、「本会は、前項の目的を達成するために、交流、検証、提言の3つを活動の柱にします。」と書かれている。市民学会が「提言」までするというのなら、『~検証会議最終報告書』を受けて、『補償法』の見直し審議の「提案」をどうしてしなかったのだろうか。

 徳田靖之弁護士は「市民学会」の共同代表のひとりだし、国宗直子弁護士は、たしか「市民会議」の運営委員のはずである。また、「市民学会」の事務局長は「検証会議委員兼検討会委員」であり、内田博文教授は「検証会議副座長」で、「市民会議」共同代表である。

 しかし、「市民学会」は検証会議委員と「ソロクト弁護団」弁護士が多く主要ポストにいて、「規約」に「直面する様々な課題にみんなで智恵を出し合い、構想をまとめ、国や自治体及び社会に提言していきます。」と掲げながら、「~検証会議最終報告書」を提出後、国(国会や政府)に対して、『補償法』の見直し審議と大臣告示の見直しを判決前になぜ「提言」しなかったろうか。もし、「提言」した事実があれば、教えてほしい。

 内田博文氏は「検証会議副座長」在任中に「市民学会」の発起人となり、新聞などにも「~最終報告」について多くを述べ、検証会議の解散後は「市民学会」の発足と同時に共同代表になったが、「ソロクト訴訟」が行なわれていながら、なんら「国に『補償法』の見直し審議の提言」を10月25日の「判決」前にしていなかったのではなかったか。「国への提言」をしていたら、具体的に教えて欲しい。「市民学会」の委員(役員)に、内田、徳田、藤野、国宗、神(美知宏)、鮎京、谺、瀬古(由紀子)‥‥、がいる「市民学会」=しかも「規約」に「‥‥直面する様々な課題にみんなで智恵を出し合い、構想をまとめ、国や自治体及び社会に提言していきます」述べながら、本年の5月に創設している「市民学会」が、『~検証会議最終報告書』を受けて、『補償法』の見直し審議を国や国会に、「提言」をしていないと思う。これが事実としたら、非会員ながら、市民学会の委員たちよ、「今になって、何よ!」と、叫びたくなる気持ちである。

(三)今後の私たちの課題

 「尾辻厚生労働大臣が10月28日に行なった「厚労記者クラブの懇談会」での発言である。なぜ、それを「ソロクト・楽生院の原告と原告弁護団」にしなかったのかの疑問も残るが、厚生労働官僚とりわけ、法務官僚たちの人権感覚がなく、10月29日つけ『東京新聞』で早稲田大学の大浜敬吾教授がいう「告示に象徴される日本の官僚支配の現状」である。
 <厚労記者クラブの懇談会での尾辻さんの発言>
「告示改正では対応できないというのが事務方の統一見解。=自分としても在任中にやりたかったが、こういう統一見解が出てしまった以上、これ以上勝手なことはできない。控訴した上で法改正するしかない。解決するのはいいが、法改正するしかないというのが事務方の結論。告示改正だけで早期解決するのは難しい」と。尾辻厚労大臣に代わって、10月31日の「第三次小泉改造内閣」は、川崎二郎氏を後任の厚労大臣に選んだ。

[ハンギョレ 2005-11-01 00:27]
 安部晋三官房長官、麻生太郎外相とは? 安部晋三、「過去問題の覆し」 右翼の先鋒
安部晋三新任官房長官は、日本右翼の頂点に立っている人物だ。靖国神社参拝、歪曲歴史教科書、対北朝鮮圧迫など周辺国との摩擦をもたらしている外交懸案で、彼が関わっていないものは見つけるのが難しい。極右の「全天候戦闘爆撃機」と異ならない彼は、特に「過去問題のくつがえし」に率先してきた。強制連行と日本軍慰安婦に関する記述を教科書から削除するために結成された自民党議員の会の核心メンバーだ。歪曲歴史教科書採択のための自民党の組織的支援を指揮した人物もまた彼だ。
 靖国参拝に対しては、「次の総理も参拝しなければならない」と声を高めてきた。「北朝鮮たたき」の先頭に立つ彼は、経済制裁で北朝鮮政権の崩壊を導くべきだという過激な主張を展開しもした。」という安部が、官房長官に就任した。


 「ソロクト・楽生院弁護団」の10月25日の『声明』はいう。
 「我々は、衆参両議院議員に対し、もう一度、補償法制定時の「悔悟と反省の念」に立ち戻り、立法者として、小鹿島更生園及び台湾楽生院に入所した経験のある人々が補償法の対象に含まれることを明確にすることを求める。また、厚生労働省は、民事38部の判決に対する控訴を断念して確定させ、すべての被害者を救済する措置をとるべきである。」と。
 しかし、それは、まったく不十分である。大臣告示は、「小鹿島更生園及び台湾楽生院に入所した経験のある人々」のみならず、日本植民地・占領地にあってハンセン病者やその家族たちが被った被害に対する「補償」(=賠償)でなければならない。ミクロネシアの4箇所のハンセン病患者の「療養所」や「満州同康院」の被害者などの謝罪と補償も追加し書き加えなければならない。

 来る通常国会の冒頭で『検証会議・最終報告書』のいう「旧植民地、占領地域における」ハンセン病患者、およびその家族・遺族も含めた被害者の人たちすべてに、国は謝罪とそれに基づく補償(=賠償)をすべきである。「大臣告示」の小鹿島更生園、台湾楽生院の二ヶ所の収容所に限定し、矮小化してはならない。それは、日本国内のみならず、国境を越えた人たちの「連帯」のなかですすめられるべきである。

 11月11日から数日間、韓国を訪問し、私の母体である「チャムギル」の皆さんの最大の支援を要請しようと思っている。

    2005年11月4日(金)  16:00  チャムギル日本支部長  滝尾 英二

| コメント (0) | トラックバック (0)

2005年11月 1日 (火)

『補償法』成立経緯と川田悦子氏(衆議院議員・厚生委員会委員)の意見、および『補償法』見直しの「提言」を見送った「ハンセン病市民学会」

 『補償法』成立経緯と川田悦子氏(衆議院議員・厚生委員会委員)の意見、および『補償法』見直しの「提言」を見送った「市民学会」の疑問について 【上】

            人権図書館・広島青丘文庫 滝 尾 英 二
                            (2005年11月1日、記す)

 『えつこ通信』【第5号】は、<ストップ・ザ “馴れ合い政治”――違いを認めて議論しあうことが議会政治> と題して「国会決議」や『補償法』の審議・成立過程を衆議院厚生委員(無所属)の一議員としての問題点を書いたもので、「ソロクト・楽生院補償請求裁判」にかかわった私としては、大切な資料として、考えなければならない問題指摘であった。この内容は、【資料1】として全文を後述する。
 そのこととかかわって、私のところに届いた二つのご意見である。
その一は、10月30日の「メッセージ」にすでに紹介したものであるが、その内容は、つぎの通りである。

 「‥‥ソロクトと楽生院の判決は明暗を分けましたが、毎日新聞朝刊にのった判決要旨を読みますと、どちらも「もっとも」と思いました。台湾訴訟の判決は、当たり前といえば当たり前の判決です。昨今の「新自由主義時代」からみると「平等取り扱いの原則上好ましくない」という言葉がとてもフレッシュな印象を受けたのがくやしくもあり‥‥。韓国訴訟の判決はやはり「補償法」の排他性が根拠となっており、「外地療養所の入所者への対応は、将来の課題にとどめられていたと解する」と、他の戦後補償訴訟と同じく、立法・行政府に責任を転嫁しました。両判決には政治的判断も働いていると思いますが、それはさておき、いずれの訴訟も控訴審にもちこまれるでしょう」

 いま一つは、『ハンセン病補償法訴訟:韓国・中国で正反対の判決、市民グループが公開講座 /富山』に対するいけんであろう。10月28日午後7時の『滝尾英二的こころ』の「掲示板」への投稿である。

 「んー?と首をかしげてしまう。これを書いた記者は一度でも鶴岡判決に目を通したのですかね‥‥。「韓国訴訟の判決は裁判長が法の趣旨をねじ曲げており詭弁(きべん)」と強く批判した。」判決が不平等なくらい私でもわかる。原告弁護団の主張であった「国立の療養所だった」事実なんざぁふまえた上で、補償法成立の過程で植民地下の補償については討議されていないことに言及し、将来的な課題だとして立法府に「丸投げ」したような判決ではなかったですかね。藤野氏はそれをどう論破できるのか、できたのか。そこを知りたい。この講座に参加された方、何を「学習」したのか教えて欲しいです。お願いします。」という内容でした。

 さて、「小鹿島更生園」収容の原告らが訴訟をおこし、それの「判決」を言い渡した鶴岡稔彦裁判長の判決文は、約100ページに及び私は未だそれを入手していない。ただ、13ページの「判決要旨」と新聞報道によって、「鶴岡判決」を検討する。

 『朝日新聞』(夕刊)2005年10月25日の<解説>(一面)によると、「『審議不十分、国会の怠慢』の見出しで<解説>東京地裁の判断は二つに分かれた。韓国訴訟は、補償対象かどうか国会審議で明確に認識されていなかったことを理由に補償の対象外としたが、台湾訴訟は、国会議員のあいまいな認識を理由に、全入所者の平等取り扱いの原則を無視するわけにはいかないと判断した。補償法の趣旨に沿って広い救済につなげる内容となった。

 こうした明暗から浮かび上がるのは、補償法の成立を急いだとはいえ不十分だった国会審議と、その後の対応に着手しなかった国会の怠慢だ。
 補償法本文や告示には韓国、台湾の療養所は明記されていない。同法は隔離政策の誤りを認めた01年5月の熊本地裁判決を受け、翌月に成立。あわただしい制定過程で、二つの療養所を対象に含めるかどうかの議論が国会ではほとんどされなかったことが背景にある。
この日の判決については、それぞれ敗訴した側が控訴し、解決が長引く可能性もある。だが、原告は平均82歳と高齢だ。訴訟が続くのを傍観するのではなく、韓国、台湾の療養所を対象に含めるよう、国会は早急に結論を出すべきだ。(青池学)」

 『中国新聞』(朝刊)2005年10月26日の<解説>(一面)によると、「『補償法の不備露呈』の見出しで<解説> 国家による人権侵害を反省し、全面的に謝罪することが出発点だったハンセン病補償法。旧植民地の施設入所者がその補償対象となるかどうかが争われた訴訟で二十五日、東京地裁の二つの行政専門部の判断が真っ二つに割れた。
 争点はいずれも「国立療養所」という言葉の解釈。熊本地裁判決から約一ヶ月でスピード成立した補償法の規定があいまい、との指摘も共通している。だが①補償法は特別な法かⅡ規定のあいまいさが「除外」の理由になるかー裁判官のアプローチの違いが正反対の結論につながった。
請求を棄却した民事三部は通常の行政訴訟と同様、立法の審議過程に着目し、議論検討を経ていない韓国の施設は除外されてもやむを得ないと判断。一方、台湾の被害者を司法救済した三十八部は、補償法を「広く網羅的救済を目指す特別な立法」と位置付け、限定的な解釈による除外は不合理だと、国の姿勢を厳しく批判した。
同じ日に同じ地裁で正反対の判断が出たことは、この訴訟の難しさを端的に示している。だば高齢化した原告や、今も施設に残る入所者の救済は、裁判上の決着とは別に考えるべき問題だ。
 厚労省設置の検証会議は今年三月の最終報告書で「二つの施設は国立療養所と同等に扱われた」と断言した。家族や社会から隔絶した療養所で、過酷な待遇や差別に苦しだ元患者の被害は、国内のケースと何も変わらない。
 二つの判決で結論は分かれたが、訴訟を通じ補償法の不備は明白となった。戦後は別の国とはいえ、その後の元凶である絶対隔離政策を植え付けた日本政府が補償から逃げるのは明らかに正義に反する。控訴審とは別に、柔軟な法解釈や特別措置などによる早期救済が求められている。」

 『えつこ通信』【第5号】<ストップ・ザ “馴れ合い政治” ――違いを認めて議論しあうことが議会政治>(2001年8月1日発行)

 政治の世界は「馴れ合い」が蔓延している。議論せずに駆け引き、根回しがおこなわれている。これで国会のすべてが運営されていけば、恐ろしいことになっていく。

 つい最近のことで言えば、ハンセン病裁判の判決(5月11日)を受けて、国会決議(註:「えつこ通信」No.5のP5参照)を出すことになったときもおかしかった。文章が私に提示されたのは6月6日。社民党の議員が委員会中に案を見せてくれた。「昭和60年の最高裁判決を理解しつつ」という文は政府声明を正当化するようで納得できないところだった。

 「これでは同意できないですね」と私は言った。そうしたら、その社民党の議員は、へんな決議なら出さないほうがいいと野党は考えていて、たぶん決裂するでしょうと言った。その言葉を聞いて、ホッとした。ところが、翌日の午後になって委員会の最中に共産党の議員が私のところにやってきた。「川田さん、国会決議これでいくということになってきたのだけど、どうしますか?」と聞いてきた。「真相究明」という言葉を削除するということになってきたという。共産党の議員も「昭和60年の……」というくだりはとうてい納得できないので、削除を要求したが、受け入れてもらえずひとり孤立していて、もうこれ以上頑張れないのでトップに相談したら、止むを得ないので、妥協してこの文章で同意することにしたという。なんという事態になっているのだ! 昨日社民党の議員から聞いた話と明らかに違っている! 驚いて、委員会室を飛び出し、議員室に戻ってきて、国会決議の内容が正式のルートから届いているかどうか秘書に聞いてみると、ちょっと前に届いているという。

 すぐさま社民党の議員のところに走る。運良く在室していたので、「昨日の話と違っていることが起きている。どういうことなのでしょうか。こんなふうに議論もなく決められてきて、結論をおしつけられるのはおかしい。自分の意見を述べる場がないのは納得できない。こんな国会決議には賛成できない」と語気を強く言い放った。すると、一人だけ反対するならこれからの国会活動に協力しなくなると言ってきた。まるで脅しの世界だ。あまりのひどい言葉に唖然としてしまい、怒りがこみあげてきた。とっさに私はこれを打開するにはどうすればいいのか次の行動に走った。

 すぐにクエスチョンタイムが開かれている予算委員会室に行った。党首討論が終わり次第、各党首に直談判をしようと考えたのだ。ダメモトだ。小泉首相は歩きながら「どこが駄目なのか?」と聞いてきたので、国会で真相究明が必要だからせめてこの「真相究明」の4文字は削除しないでほしいとお願いした。「文書ある?」というので、添削した文書を思わず手渡した。そのあと、また予算委員会室に戻り、土井たか子党首と菅直人幹事長にも同じことを伝え、直ちに厚生労働委員室に戻った。廊下に民主党の議員がいたので、聞いてみると、「仕方ないよ」という。

 そしてすぐに態度を表明しなければならないと迫られ、各党首からの返事を待ってという猶予はなくなった。しかし、納得できないまま賛成するわけにはいかないので、弁護団に原告団の意見がどうなっているのかを委員会室の廊下から携帯電話で尋ねると、「責任の文言が入っているのでこれで了解している」という。万事休すである。民主党の議員の説明によると、どうも原告弁護団が与党と協議してOKしているので、いくら野党が提案しても受け入れてもらえない状況になっているという。たしかに政権党が力を持っているのは確かだが、はじめにそこと協議している限り野党の力を発揮する場面はない。ひどい話だ。弁護団のやり方はまちがっているように思えてくる。野党無視も甚だしい。こういうやりかたで国会決議はできあがってしまった。そして私は仕方なく賛成することになってしまった。

 ハンセン病補償の法律もまったく同じ経過を辿った。集中審議で1分でも2分でもいいから発言させてほしいと願ったが、それも叶わず、法律は成立。一度妥協すると、ずるずると賛成していく羽目になる。しかし、今度の法案に対しては納得できないので反対することにした。熊本裁判の判決をもとにした内容であり、国会の責任が断罪されたことを反省しての補償の内容になっていない。裁判では法的に拘束された(療養所にいた)かどうかで補償の金額が決められているが、これでは国会が悪法をつくり、長いこと放置してきた責任をとっていない。国会が作る補償の法律は、熊本地裁判決とちがっていい。判決よりも中身のあるものにする責任がある。これでは過酷な療養所を逃げ出し、隠れるようにして生きてきた人々や、療養所を出てからも苦労しながら生活をしてきた人々のことを考慮していない無慈悲なものになる。

 それにこのような隔離政策をおこなったのは、日本国内にとどまっていない。富国強兵の植民地政策のもとで朝鮮半島や台湾においても日本政府はもっとひどいことをおこなってきたという。そして既に亡くなってしまった人への償いは具体的なことは明示されていない。十分な討論もせずにこのような内容の法律を国会は急いでつくってしまった。それに私は腹が立った。国会では民主主義は死んでいる。委員会で私はただひとり反対し、本会議でも480人中ただ一人の反対だった。たったひとりの反対にすぐにNHKと朝日新聞が取材にきてくれて、報道してくれた。そのことで今まで薬害エイズを一緒にたたかってきた人から「反対してくれて良かった」「全会一致は怖い。ひとりよく頑張ったね」と励ましの電話をいただいた。またハンセン病の歴史研究家から「よくぞ反対してくれた」と歓迎された。

 480人中ひとりだけ違った行動をとるというのは、かなり勇気がいるが、やはり自分が納得できないことには声をあげていかなくてはならないと思う。

 協調性がないとか、わがままだとか非難する人もいるが、日本のような国では、少数者の意見や意見の違いをお互いに認め合うことをしていかないと、恐ろしい社会になっていく。最初に大きな声をあげた強者に引っ張られていってしまう。国会は一部の議員だけで決めるのでなく、会議室で大いに議論して決めてかなくてはならない。

 6月末で長い国会も閉会したが、密室での馴れ合い政治を変えていかなくてはならないと、ますます痛感させられた第151国会だった。

| コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年10月 | トップページ | 2005年12月 »