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2005年10月28日 (金)

「韓国ソロクト(小鹿島)訴訟  原告は今日も訴える 」

 「韓国ソロクト(小鹿島)訴訟  原告は今日も訴える (Keep the Red Flag) 」という文が、『滝尾英二的こころ』のトラックバックに届けられています。発信者は、(Keep the Red Flag) となっています。こうした方がたとも「連鎖」しながら、日帝期の日本政府が行なった残虐で非道きわまる「ハンセン病政策とその施行」の事実を明らかにし、その責任を具体的に追及しましょう。

 厚生労働大臣の告示には、小鹿島更生園、台湾楽生院とともに、天皇制日本国家によって1922年つくられた「南洋庁」。その「南洋庁」が1926年に「サイパン」島、1927年に「ヤクート」島、1931年に「パラオ」島、1932年に「ヤップ」島にそれぞれ、島民のハンセン病患者を収容隔離し、この管理・運営は恩賜財団「慈恵会」が行なっています。(『南洋群島要覧』各年度、南洋庁発行より)
 詳しくは、『飛礫』47号(2005年7月)つぶて書房発行に、滝尾英二が書いた「論考」を参照して下さい。また、「満州同康院」の同施設のことも、ハンセン病問題に関する検証会議の『~最終報告書』(2005年3月発行)には書かれ、厚生労働大臣に提出されています。
 しかし、それらの詳細な調査はなされておりません。厚生労働大臣の告示には、小鹿島更生園、台湾楽生院と同時に、ミクロネシアで日本国家の隔離・収容したハンセン病患者のことも、忘れずに詳細な調査と、厚生労働大臣の告示に明記さす必要があります。虐殺(ミクロネシア)や集団自決(「満州同康院」)が行われ、その遺族も、現存されといると思います。

 それらの方がたに対する「国家謝罪」と「補償(賠償)」が必要です。国内のみならず植民地統治期のハンセン病患者とその家族・遺族への「国家謝罪」と「補償」を日本政府に要求し、それを闘いとることが、絶対必要です。ともに「連鎖」「連帯」して闘い抜きましょう。

   2005年10月28日(金曜日)  午前4時45分  人権図書館・広島青丘文庫
                             主宰 滝尾 英二より

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2005年 10月 27日
『韓国ソロクト(小鹿島)訴訟  原告は今日も訴える』
 「いい結果を得るまでは、帰れない」

 27日、 南野知恵子・法相、尾辻秀久・厚生労働相と面談した、韓国・ソロクト(小鹿島)ハンセン病訴訟の原告、蒋基鎭さん(84)の言葉だ。
 ◇
 日本政府が戦前、植民地にした韓国と台湾でつくったハンセン病「療養所」(韓国・小鹿島更生園、台湾・楽泉院)の元入所者が補償を求めた旧植民地ハンセン病訴訟。25日、東京地裁は、台湾の原告には補償を認め、韓国の原告の請求は棄却するという、まったく正反対の判決を出した。判決は、原告らの望んだ全被害者の救済には程遠く、「一勝一敗」という結果が、逆に日本の司法の後進性をいっそう浮き彫りにすることになった。25日以降、原告らは連日、霞ヶ関の厚生労働省前で集会を開き、元患者に平等な補償を行うよう求めている。

 原告を支援するのは、4年前、歴史的な熊本地裁判決を勝ち取り、「ハンセン病補償法」を実現した日本のハンセン病元患者らだ。
 「療友の差別を許さない」「日本の植民地下の犯罪 許すな」・・・。元原告らが手にもつ布の寄せ書きには、日本各地の療養所退所者の会の名前とともに、台湾、韓国の元患者の請求を棄却した政府への批判が、書き連ねられていた。

 「療友」。まさしく彼らは、同じ病に苦しみ、日本政府の強制隔離政策により「療養所」に押し込められ、労役を課せられ、些細なことを理由に重監房に閉じ込められ、さらには堕胎、断種させられた「友」だ。戦後も、ハンセン病への誤解と偏見により、差別され、社会から無視されてきた同じ苦しみを分かちあってきた仲間だ。
 そこには、国籍も入所した療養所の所在地の違いもなく、ただただ、日本政府の政策によって奪われた人間としての尊厳を、人生の最後の瞬間において取り戻したいという思いがあるだけだ。
 ◇

 だが、ソロクト訴訟で東京地裁は、原告の被害と日本政府の強制隔離政策の因果関係について「外地療養所入所者もわが国が隔離政策を実施して身柄の収容を行ったものと指摘できる」「その後受け続けたと推測される偏見と差別も、原因の一端が戦前のわが国の隔離政策などにあったことは否定し難い」と認定しながら、厚生労働省のただ一片の告示に、海外療養所が含まれていないことをもって、原告の請求を棄却してしまった。
 韓国の保健福祉省は27日、スポークスマン論評を発表し、「(日本政府のもう一つの差別を正当化する裁判所の決定は、人間の尊厳性を差別し、過去の日本政府が犯した人権侵害行為を、再び再現した)」と東京地裁判決を非難したが、まさにその通りではないか。
 韓国の原告117人、台湾の原告25人、総勢142人の原告の平均年齢は80歳を超えている。老齢の元患者が、それも病と不十分な治療、過酷な労役による重い障害に苦しむ人たちが遠路はるばる日本までやってきて、冷たい風が吹きすさぶ霞ヶ関のど真ん中で、朝から夕方まで、ハンドマイクを握って訴えなければならないか。それも三日間も!!。
 ◇
 これは司法だけの問題ではない。4年前、熊本判決のときも、原告らは首相官邸前に詰めかけ、政府に「控訴するな」と訴えなければならなかった。明日28日午前十一時から、原告らは衆院第一議員会館に集まり、首相に面会を求める計画だ。どうして四年もたったのに、同じような光景が繰り返されてしまうのか。
 すでにハンセン病補償法という法律はある。
 日本の元患者と台湾、韓国の元患者を分かつものは、補償法の対象施設を列挙した厚生労働省の告示だけだ。告示に海外につくった療養所が含まれていないというなら、大臣の権限で告示に一行いや二言、ソロクト更生園、台湾楽泉院と書き加えれば、すぐにでも解決する話だ。

 台湾の原告の訴えを認めた判決に接し、南野法相は「厳しい判決だ」と言った。だが原告らに対し「厳しい」態度をとってきたのは日本政府なのだ。さいわいにして、原告らの訴えがとどいたのか、4年前の反省かはわからないが、現在のところ日本政府は原告らの訴えを頭から拒絶するという態度はとっていない。
 尾辻厚労相は27日、原告との面談で「関係各方面に相談して答えを出す。長く時間をかけるつもりはない」と回答した。同日、行われた日韓外相会談でも町村信孝外相が、韓国のパン・ギムン外交通商相に「基本的には法務省の判断だが、政府としての対応を検討する。韓国側に良い回答を伝えられたらと考えている」と述べたという。
 政府がこれまでの方針を改め、韓国、台湾の原告の訴えを受け入れるかどうか。予断を許さぬ状況が続いている。

 原告らは今のところ29日に出発する予定で、明日が最後のチャンスだ。うれしい結果を持って、韓国に、そして台湾に帰ってもらいたい。どうか心ある諸君は、明日の朝、衆院議員会館前に集まってほしい。それが無理ならば、心の中でエールを送ってほしい。

 最後に、原告の一人、南相鉄さんの言葉でしめくくろう。
 「明日の新聞に、私たちが笑って帰れるような、いい記事がでるようにと、日本の大臣にお願いしました。私たちは同じように被害を受けたのに、どうして補償が受けられないんでしょうか。どうか補償が受けられるようにお願いします。必ず、勝利することを、私は信じています」

>弁護団ウェブサイト

 *この文章はCreative Commonsでライセンスされています。金儲けに使わず、再配布禁止にしなかったら、ここの文章を何に使ってもかまいません 。


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