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2005年9月 6日 (火)

「ハンセン病問題」と優生思想・優生政策の推移(その7)=小鹿島療養所患者に対する性管理と優生思想の展開 ②  

 光田健輔たちによって、推進められた「断種」(輸精管切徐手術)は、朝鮮にも持ち込まれ、施術されるようになった。その経緯について述べてみたい。
  一九二七年四月十三日、朝鮮総督府医院長志賀潔は、東京の帰りに釜山経由でソウルに帰ったが、その帰路、記者たちに「癩病の根絶」について談話している。『東亜日報』及び『大阪朝日新聞・朝鮮版』は、つぎのように報じている。

   『癩病の根絶は、去勢の他は無道理/去勢で遺伝防止 ◇志賀博士 談』(見出し)。
                      (一九二七年四月一五日付『東亜日報』)
   東京で開催された日本生理学会に出席した滋賀総督府医院長は、十三日夜に帰郷た。氏は、朝鮮に比較的多い癩病に対して「癩病絶滅策に関しては以前から研究もし、相当なる意見も持っているが、最も近道は去勢して遺伝しないようにすることが一番いいようだ。しかし、これは、人道上において問題があるので簡単に採用することはできないが、かといって現在、朝鮮に約三万名の患者がおり、今後もっと増えることが予想されるので、去勢に関する法律でも制定し根絶を期することなしには、将来、恐ろしい結果を導くことになるだろうと語った」。

   『患者の希望で去勢を実行し、癩患の撲滅を期する/志賀博士の内地帰来談』(見出し)。
                                 (一九二七年四月十四日付『大阪朝日新聞・朝鮮版)
 「総督府医院長志賀博士は十三日朝釜山通過帰城したが氏のはなしに、鮮内における癩患の現在数は警察当局の調査をみると七千人といふことになつてゐるやうだがその実数はすくなくも三、四万人はゐる、癩の撲滅予算をはかるため内地では患者の希望によつて去勢を実行してゐるが、その徹底を期するには鮮内でもこれを実施するに如くはないと思ふ、いろいろ治療法も講究されてゐるが未だに適確なものは発見されず全治者は三、四パーセントしかない有様で患者の血族関係者を引離し別居せしむるなどいふことは実際問題として行はれないことではないかと思はれる=釜山」。

  志賀潔のこの談話が『東亜日報』などに報道された六年後、光田健輔は長島愛生園書記の宮川量(一九〇五~四九)を伴って、小鹿島慈恵医院など朝鮮の「癩」療養所を視察の旅に出た。一九三三年七月十六日から十一日間の視察中、大邱に立寄り『大邱日報』
に、つぎのような記事談話をしている。

  「レプラ患者は隔離すれば減る/輸精管断切は自他とも幸福/来邱中の光田健輔氏談
                                          (一九三三年七月二五日付『大邱日報』)

 癩患者の救主とまで云はれてゐる権威者岡山邑久郡国立癩療養所長島愛生園長光田健輔氏はこの程来鮮、全南順天、小鹿島両地の癩患状況を視察し京城を経て二十四日大邱府外内塘洞大邱癩病院を視察後同日慶州に向け出発したが氏は語る、
  「朝鮮には皆様の御尽力の御陰で癩予防協会が建設されることとなつたのは病人は勿論一般社会のために慶賀に堪へない、この癩病は隔離療養すれば次第に減少するもので将来朝鮮の癩患も年を逐ふて影が消えて行く事と思ふ、内地には明治三十九年想定二万四千名も居つたが隔離して爾来その数を減じ現在は一万四千三百六十一名(警察の調べ)しか居らず国立七ヶ所、私立六ヶ所の療養所に約五千名が収容してゐるが従来は流浪患者のみを収容してゐたけれども数年前より普通患者でも伝染され易い危険な患者に対しては県知事が強制的に入院隔離せしめる権力を有することとなつた。
 而して療養所に入れば見違へる程病気が癒り入所してない患者とは比較にならない、然し七年十四年も立つて再発することがあるから之には困る、尚ほ本能性の異性接近問題についても各人各説があるが、僕の所では希望者に限り男の輸精管を切つて自由に夫婦生活をさせてゐるが之はたゞ子を産まないだけであつて普通の夫婦関係と豪も変りはない。そこで近来夫婦にならうと云ふ患者は進んで申込み手術を受けることとなつた大正(大正四・一九一五)年来、僕の手術してやつたのが三百名に上つてゐるこの病気は遺伝するのではなく全身に拡つてゐる母の病菌が軟弱な胎児を襲ひ伝染するのであるから自分の為子の為社会の為に子を産まぬのが最も良策である。
 今日府外、内塘洞の患者部落を視た時数多い子供が居ることには心から気の毒で見られなかつた今のところ内地では東京療養所その他でも輸精管切断を実施中であるが成績良好である、朝鮮における患者も自発的に手術すれば結構なことであらうと思ふ」。

  光田健輔が朝鮮の視察旅行した一九三三年、九月一日には周防正季が小鹿島慈恵医院の四代院長に任命された。小鹿島慈恵医院第一期拡張工事の始まりである。第一期拡張工事の落成式は、一九三五年十月二十一日挙行された。翌三六年四月には小鹿島更生園でも断種(輸精管切断)手術が、夫婦同居の条件として施術されることとなった。収容患者の急増による園側の、患者に対する「管理・統制」の強化である。また、日本国内の療養所とは異なり、植民地朝鮮の小鹿島更生園では、収容患者の処罰としての「断種」が加わり、実行された。妊娠した女性は堕胎させられ、胎児は殺された。

 小鹿島更生園『昭和十二年年報』(一九三八年七月)は、「夫婦患者ノ同居」の項でつぎのように記述している。

 「一、当園患者ハ大正六年開園以来男女別居制ヲ維持シ来タルガ昭和九年以降ノ大拡張ニ伴フ多数患者ノ増加収容ニ依リ夫婦患者ノ数又著シク増加スルニ至リ之ヲ此ノ侭抑制シテ依然別居制ヲ維持スルニ於テハ自然渠等ノ気分ヲ荒廃セシメ遂ニハ物議ヲ生ジ事端醸成ノ因ヲ為スニ至ルベク看取セラレタルヲ以テ寧ロ渠等ノ要求ニ先タチ一定ノ条件ノ下ニ夫婦同居ヲ認ムルコトヲ決シ昭和十一年四月ヨリ之ヲ実施セルガ現在同居者四百七十一組ニシテ尚相当増加ノ傾向ニ在リ而シテ之レガ為渠等患者ノ気分非常ニ緩和サレ自然島内生活ノ安定ニ大ナル効果ヲスニ至リツゝアリ其ノ収容状況左ノ如シ。
      夫婦同居者
中  央  三九        旧北里  一九四        西生里    六
南生里  七六        新生里  一〇〇        東生里  五六
  計  四七一組

二、夫婦同居ノ許可標準
1.戸籍上ノ夫婦タルモノ
2.戸籍上ノ夫婦ニ非ザルモ事実正式ニ婚姻ノ式ヲ挙ゲタルモノ
3.古ク収容前ヨリ内縁関係ニ在リタルモノニシテ一般ニ認メ得ルモノ
4.5.(略)
6.以上ノ各項ヲ具備スルモ之ヲ其ノ侭同居セシムルニ於テハ隔離収容ノ意義ヲ
  忘却スルニ至ルベキヲ以テ予メ本人ノ申出ニ依リ断種法(精系手術)ヲ行ヒタ
  ル上同居セシムルコトニ為シ居レリ」。

「夫婦患者同居者」の数は毎年増加しているが、その他はまったく同じ文面の記述が、一九三七年から四一年までの小鹿島更生園発行の各年度『年報』に書かれている。
  つぎに各年度ごとの「夫婦患者同居者」数を示しておく。(以下省略)。

 以上見てきたような公式に『年報』が明記した「精系手術」して同居した患者(一九四〇年末には、八四〇組)以外にも、処罰としての「断種手術」が行なわれている。その人数は当時の公式な行政文書には記載されてはいないが、多くの証言から伺い知ることができる。監禁室の隣り建物の「解剖室」と隣り部屋の「遺体安置室」で、看護手などが監禁室を出所する際に、行なったという。解剖室の壁には、罰として「断種手術」を受けた人物=李東の詩が、現在の国立小鹿島病院によって、韓国語で書かれた詩が掲示されている。

 その昔、思春期に夢みた
 愛の夢は破れ去り
 今 この二十五の若さを
 破滅させゆく手術台の上で
 わが青春を慟哭しつつ横たわる。
 将来、孫が見たいと言った母の姿‥‥
 手術台の上にちらつく。
 精管を絶つ冷たいメスが
 わが局部に触れるとき‥‥
 砂粒のごと 地に満ちてよとの
 神の摂理に逆行するメスを見て
 地下のヒポクラテスは
 きょうも慟哭する (李東)

(註)詩中の「ヒポクラテス」とは、医学の父と呼ばれる古代ギリシヤの医学者である。

シム・ジョンファン著『あゝ、七〇年~輝かしき悲しみの小鹿島~』(一九九三年七月)には、つぎのような一文が書いてある。――南生里に入院した李(イ)東(ドン)とい う青年は、敬虔なキリスト教徒で、たくさんの患者仲間から尊敬を受けていた。
ある日、原土場で採土作業をしていたが、作業の障害になる松の木二本を植え替えろと、佐藤主席看護長の命令を受けた。その時、自分の病舎の同僚患者が急病で倒れたので、 医者の治療を受けるために患者を背負い、治療本館内科室に行った。そして、佐藤 の命令をすっかり忘れてしまった李東は、その次ぎの日、煉瓦原土場現場に出頭しろという命令を受けた。佐藤はその原土場の上にうつ伏せにした李青年を、靴で首っこをむちゃくちゃに蹴りながら、「貴様のようなももの生命は、あの松の木より劣るのだ」と棍棒で殴った後、監禁室に入監させた。出監した日は手術台に載せられ、例によって断種手術を受けたが、断腸の思いを込め一編の詩を書いて、静かに医者のメスを受けた。

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